それでは、肯定側第二反駁を始めます。よろしくお願いします。

8つあるディベートのステージにおける最終ステージで、その試合における最終論者。
これまで両軍が互いの全力を尽くして練り上げてきた議論を戦わせて築き上げた山の上に立って、最後に自らの勝利を願って旗を打ち立てる役割。
ジャッジを前にして自分たちの議論を総括するスピーチを話し始める時の快感というのは、他ではなかなか得がたいものであります。
否定側第二反駁が駄目だとか、他のステージが駄目だとか、そう言うことを言うつもりは全くないのですが、僕はやっぱり肯定側第二反駁が一番好きですね。
高校三年時分には肯定否定両方の第二反駁が僕の担当ステージだったのですけれども。
肯定側第二反駁というのは、やりようによっては最強の後出しじゃんけんを出来るんです。そりゃ、勿論上手くやらなければNew argumentやLate responseをとられてしまうわけですが、そこはやりよう。いや、そう言うことを推奨するわけでもなく、僕自身もそんなあくどい事に心を砕いていたわけでもありません。
要は、今まで辺りをあっちこっち錯綜してしまっていた議論を一本ないし二、三本の束にまとめて、それらの価値を比較する。その上で自分たちの主張の方が正しいのだと言う事をジャッジに対して熱烈にアピールする場なのですよ。
ディベートというのはステージごとに優劣が七転八倒するものですが、やはり第二反駁の威力はその中でも最たるものだと思います。否定が話題に反駁で殆ど否定側に傾いていたとしても、肯定側第二反駁によって逆転する事は不可能ではない(勿論時と場合による)のですから、あのステージの責任と楽しさというのはやはり凄いものがあります。
僕が高三の時のチームでは、第一反駁は肯定否定の場合で二人いたんですが、二人とも非常にクイックに殆どの議論に唾を付けておいてくれる人だったので二反としては非常に助かりましたねー。どの議論を引っ張っても遅すぎる反駁になる事がない。これほどありがたい事もまあありませんよ。あとは新しい議論にならないように、自分の目指す第二反駁の方向性についてだけ一反の人と擦り合わせておけば理想の議論を展開出来ると、そういうわけです。
さて、なんでこんな話になったのかな……。
そうだそうだ。今日の一限の教職総合演習でディベートの真似事みたいな事をやったからでした。

どうも、コークスです。前振りが長いわけですが……、授業でディベートをやりました。
論題は「日本は総合学習を継続すべきである。是か非か」
ディベート甲子園経験者なら、まず「あれ?」って思うわけですよね。これ、政策論題ではあるのですが、肯定側が現状維持、になってしまいます。否定側から「総合学習廃止」というプランを出すということになるんですね。
ちょっと変なんですよね。そう考えるのも僕がディベート甲子園でのディベートしか経験していないからなのですが……、ともかく僕の感覚から言えば変。まあ別にメリットVSデメリットの構図がメリットVSメリットや他の構図に変わってしまうと言うだけで、ディベートの中身自体には指して影響ないのですが。
面子は絶対初心者ばっかりだなー、という確信があったので僕はジャッジをやりました。無理です。あの状況で僕が立論と一反をやったら二反を待たずして勝負が付いてました。
当たり前ですが、未経験の人はディベートの形式や、どういう風に議論を立てればいいのかっていうのは全く知らないわけですよね。何しろ僕が一番最初に聞かれたのは「反駁って何するの?」でしたから。その問いは……、簡単なようで深いよね。とか言うまでもなく彼は本当に反駁がどういうステージか分かっておらず、その辺りの説明もしながら、適宜簡単にアドバイスをしながら、僕がジャッジ&タイムキーパーをやるという形でディベートは進んだのですが……、もっと具体的に色々アドバイスをすれば良かったかな。というか、フローシートを取らせれば良かったんですね。すんません。指導の立場になったのが初めてで要領が分かってませんでした。
ディベート甲子園では、立論において肯定側は政策導入によって発生するメリットを、否定側はデメリットを述べて議論を行います。肯定側がメリットを立てる上での型は大きく二つ。「発生過程-重要性」型と「深刻性-解決性(発生過程)」型がありますね。対して否定側は「発生過程-深刻性」の一つ。
「発生過程-重要性」型のメリットというのは、とある政策を導入するとこんな風にして良い事が起きますよ、それはこんな点で良いんですよ。というタイプですね。例えば原子力発電全廃論題だとして、メリットが「リスクの軽減」、発生過程が「原子力発電を全廃すると事故リスクがなくなります」、重要性が「国策として国民の安全を守る」とか、そういう感じです。一つのメリットについて発生過程や重要性が複数あるのは良くある話。
「深刻性-解決性」タイプは最近流行ってるらしく、実際こちらの方が議論がスッキリする場合も少なくありません。何故なら実際の国策というのがこういう思考法で実行されているから。どういう事かというと、現状では解決の難しい○○という問題があります。この問題は××という点で非常に深刻なので政策を導入しましょう。すると解決ハッピー! という感じですかね。先ほどの原子力で取りあげたメリットをこの形式に書き換える事も出来、メリット「リスクの軽減」とすると、深刻性「原発事故は一定の確率で起こりえて、被爆したら深刻な健康被害を被る」として、解決性「原発そのものがなくなるのだから事故は起きえない」とすればオッケーですね。「深刻性-解決性」タイプの議論はプランが殆ど解決性を説明している場合が多いので、深刻性の議論が勝負なのかなぁという感じですね。でもって複数議論を立てずに一本化するケースが多い気がします。
デメリットについては、プランを導入すると○○というデメリットが発生するんだからそんなの止めようぜ、というお話。原発で言えば例えばデメリット「経済崩壊」、発生過程「現在電力供給で大きな割合を占める原発が全廃されると供給が追っつかなくて電力不足に陥る」、深刻性「国民の生活が不安定になる」etc...という感じですかね。そんなデメリットがあるんだから止めようぜ、という話。
因みに余談ですが、それぞれのラベルが変な事になるというのはディベート甲子園でも割と良くある話で、議論そのものは非常に上手いのにラベリングが今ひとつ合致していないからよく分からない事になっている、なんてことは実力校でも決して珍しい事ではありません。自分が選手をやっていた時にも、最後まで迷っていたのは「何をラベルにするか」でした。言いたい事はスッキリまとまっているんですが、何を見出しとすればそれがズバッと伝わるか、そこが判断しづらいんですよね。
閑話休題。勿論、こんな形式はディベート甲子園という一つの大会の中で推奨される形式でしかありません。ジャッジが判断する際、またお互いに議論を深めていく上で、一定の型に沿った形で立論が組まれている方が話が早いと言うだけの事です。こうやって定型があれば、相手の言っている事を苦労して咀嚼する迄もなくすぐに議論に踏み込めるだろう、という配慮ですね。やっぱり教育ディベートの場では両陣営でお互いに議論を深めてもらう事を重視していますから。
とはいえ、これは一つの大会で採用されている形式なわけです。自分の考えを他人に伝える上で、ある一定水準以上のわかりやすさがあるから採用されているのは疑いようもなく、この形式に則ることにはそれなりに便利な事です。
ですが、勿論皆さんそんな事知らないわけです。好き勝手に喋られると反駁側もどこをどう反駁したものか困るし、ジャッジもどう判断すればいいのか困ります。
まさにその状況でした……。いや、流石は京大生ですから言いたい事は伝わるし、分かりやすい話ではあるんです。ただ、いざ議論を絡めていくとなるにはやはりラベリングがほとんどないからサインポスティングもしにくいし、「言いたい事を一言でまとめると」というのがないから後から振り返って核が掴みにくい。
立論-第一反駁-第二反駁まで形式を整えてやるのなら、やはり議論が深まる事を期待してある程度スッキリした議論形式を整えたいものです。

さて、今日の議論のレビューを軽くやっておきましょうか。
肯定側にはTaxiがいましたね。四苦八苦お疲れ様でした。
肯定側から提示された議論は、

総合学習詰め込み教育に対する反省として今苦労して実践している最中である。今後も継続して行い、また全国からノウハウを集めて行く事でより良い教育を作る事が出来るだろう。
だから総合学習は継続すべきだ。

というもの。見ての通りまずラベルがありません。形式も前述のいずれにも当てはまらない、ただ単なる主張ですね。仮にラベリングしましょうか。
メリット「教育水準の向上」、発生過程「様々な実践の統合」「試行錯誤の継続」、重要性「より良い教育への前進」というところでしょうか。
これに対して否定側から提出された議論は

総合学習に対しては学力低下をはじめとして様々な批判があるし、総合学習での様々な実践というのは教師の力量頼みの非常に格差が出やすいものだ。そもそも総合学習が目標としている生きる力は各教科での学習の中で様々な工夫を行う事で出来るものでもある。成果が不安定な上に代替の効くものをわざわざ継続する必要はないから廃止すべきだ。

と、概ねそんな感じです。ラベルがないのは同様。……これにラベリングするのが地味に難しいんですよね。
強いて言うなら総合を継続することに関するデメリットで、デメリット「教育格差の発生」、発生過程「教師の力量差」、深刻性「教育不平等による格差の発生」と、僕ならそう行きますが、残念ながら深刻性までの言及はありませんでした。
さて、まずざっと見渡して、否定側に分がありそうだという感じです。少し慣れていれば目が行きそうな所なのですが、実は肯定側の議論というのは固有性が薄いんです。教育のノウハウを集めてより良い教育をしていく、というのは別に総合学習でやらなくても良い事ですよね? 僕が昨年理科教育法を教わった先生も元高校教師で、あちこちの学校の先生とネットワークを持って授業の改良を行っていたそうです。否定側の立論で行っている「生きる力は各教科で〜」というのは、それとは違いますがそもそも総合に固有のメリットがない事を言っていますよね。それと同じで、肯定側が言っている事と言うのは別に総合学習でなくても教師の努力次第でどうとでもなく事なんですよね。となるとわざわざ苦労して総合をやる必要ないじゃないか、となる可能性があります。
ディベート甲子園では議論がイーブンだった場合(詰まりどちらとも言えず優劣が付かなかった場合)、否定側の勝利です。すなわち特にメリットも無いのに新しい事をする必要はなく現状維持にしよう、というわけです。今回の場合は肯定側が現状維持に近いのですが……、まあここはルールを優先して「総合を続けていくか、それとも元に戻して無くすか」と解釈して元に戻す場合の方が落ち着く可能性があるという前提にしましょうか。
さて、それぞれに議論に関してなのですが、まず肯定側の議論。否定側第一反駁で、「詰め込みの反省とは言っても学力低下が起きている」という反駁があり、それに対して肯定側第一反駁でも再反駁がありましたが、否定が話題に反駁が大胆に「ゆとりも詰め込みも一長一短、どちらが良いとも言えない」という反駁をしてしまいました。これに対して肯定側第二反駁は何も言わなかったので、肯定側の議論は「続けても止めても大差ないのかなぁ」という感じのところに落ち着いてしまったんですね。
一方で、否定側の議論はあんまり触れられなかったんですよね……。フローを取ってないと特に、盛り上がる議論ばかりに話が集中してしまいがちです。フローを取っていても忘れられる議論ってありますし。それで、否定側の議論として第一反駁をスルーされたものが、第二反駁で再提示されて「総合学習には固有の良い事はない」ということが強調されました。これに対して肯定側第二反駁では反駁があったのですが、僕はそれはLateで取りませんでした。
また教師の力量次第というのもなんとなく分かる話です。これに対して肯定側第二反駁では

元々教師には彩り豊かな教育を出来るだけの実力が要求されていて、総合学習でそれが不足している事が浮き彫りになったんだ。だから今こそ総合学習を継続して、その中で生徒とともに教師も成長して今後の教育界を発展させていくべきだ。
この教育需要は今総合学習を取りやめたら無くなってしまうものだから、総合学習を廃止してはいけないんだ。

という反駁が出ました。言っている事は非常に良いんですが、残念な事にどう見てもNew argumentでした。いやはや、これが立論や第一反駁で出ていたら肯定側が圧勝していた事は間違いないでしょう。なんせ固有性も完璧だし、話としても面白くて分かり易い。立証は難しいかも知れませんが、抽象的でもジャッジに訴えかける力は強い議論になったと思います。
結果。肯定側の議論はイーブン。否定側の議論がいくらか残ったと言う事で否定側の勝利、というジャッジになりました。Voteは一人なので0-1でコミュニケーション点を付けるならどちらも平均2ずつくらいですかね。もっとサインポスティングをはじめとして色々なテクニックを使って分かり易く議論をして欲しかったんですが、まあいきなりそれをやれと言うのも無茶な話ですな。
実は否定側にも勝ち要素が多かったわけではないんです。肯定側第二反駁が議論の持って行き方を間違ったのが勝敗の分かれ目で、もし肯定側第二反駁が「総合学習をやる上で各地からノウハウを集めて教育をより良いものにしている」というのを軸に議論を締めていたら、多分Newにはなっていません。あるいは、ジャッジによっては解釈としてあの議論をNewにとらない人もいるかも知れません。その辺り、やはり線引きは難しいんです。出し方とタイミング、場の流れによっては新しい議論なのかステップに沿った反駁なのか、変わりうると言うわけです。
そんなこんなでぐだぐだに近いながらもディベートは終了。いくらかのアドバイス、というかディベートをきちんと行うにはこんな形式の方が良い、というのをごちゃごちゃと、主に立論と議論の提示方法についてだけ言ってタイムオーバー。反駁の話が出来なかったんですよ! なのでまたこちょこちょと書くかも知れません。
教室の前の方で講評を大声で語ってたから目立ったんでしょうねー。授業後に声を掛けられました。なんと甲子園経験者の方でした。いないことはないだろうとは思ってましたが、よもや教職で、しかも同じ講義を取ってる人の中にいるとは驚きでしたね。しかも彼女は理科教育法も取ってましたし。聞けば中国支部の広島S高校出身だとか。いやはや、世の中狭いですね。
生憎参加していた年が違って、彼女はS高校全国三位の栄光の年にやってたそうですが、僕はその翌年と翌々年、それも全国は予選落ち。まあ……、ね。
授業でいきなりやったらこんなもんですよねー、とか、先生が言いたい事はNADEがやってるディベートとはちょっと毛色が違うんじゃないかなー、とか。そう言う雑談をしばし楽しんでいました。
知っていたら彼女と同じ班になって、対戦したものを。経験者同士なら良い試合になりますしねー。