革命を???? で? っていう総括記事

どうも、年末にアニメdis記事を書くことに定評のあるよしけむです。
皆さんのご期待にお応えして境界の彼方の記事を……と思ったのですが、原作三巻未読につき延期します。
今回は革命機ヴァルヴレイヴの感想・批評記事を書きたいと思います。
ヴヴヴたのし〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!っていう方は続きを読まれない方がよろしいかもしれませんね。

で、革命とはなんだったんです????????????

最後まで見たら、結局革命というのはなんだったか。
わかると思ったんだけど実際スタッフが意図してた革命ってのは何だったのかわかんないんですよね。
ドルシアは、たぶんマギウスが支配していた体制から革命された。
でも、それはたぶん作中で誰も意図していなかったことであって、なんか「結果として起こった」というしか言いようがないことなんですよね。
好意的に切り分けるなら「百一人評議会」が支配していた体制を打ち崩したってことではあるんでしょうけれども……、じゃあ作中で誰がそれを望んでいたって?
っていうと、実は結構よくわかんないんですよ
では、物語の構造を少しずつ切り分けてみたいかなって思います。

ロボものとしてのロボの生かし方

まず!
ヴァルヴレイヴ3−6号機は何のためにあったのかって話ですよ。
そりゃ、1stシーズンでは色々登場回中心に活躍してますよ。カーミラの登場回とか胸アツですし、6号機が指南ショーコを助けるために起動するシーンとか、すごくイイじゃないですか。
ロボットものとして血湧き肉躍る感じですよ!!!!!
だが!!!!!しかし!!!!!!!!!!2ndシーズンとは。みたいな感じですね。
思い返せばヴヴヴはですね、設定の出し方が下手なんですよ。
思い返せば1話でドルシアの軍人さんが「あの光はなんなんだああああああああああ」って言ってる割に、結局硬質残光の設定も効果の一端さえも作中で具体的に説明されることはほとんどなかったのが、すごい代表例かもしれませんね。
2ndシーズンで言うと、24話でカイン大佐が「ダミーレイヴでは所詮……」みたいな台詞を言ったのが最も印象的ですかねえ……。
ダミーレイヴ is 何。
私が個人的に24話を見ていて一番引っかかったのは、ここですよ。
突然に出てくる「ダミーレイヴ」という単語。
いつもヴヴヴの設定は突然に出てきて生かされなさ過ぎる。
ダミーレイヴも、なんとなくAIのいない3〜6号機のことなんだろうなーって言うのはわかるんですが、じゃあ1,2号機にはなんでピノちゃんたちがいて、3〜6号機にいないのかは全く触れられず。
じゃあなんで3〜6号機はダミーレイヴなのか、さえわからない。
もちろん、「根本的に性能差があるっぽい:ことは具体的に描かれることはない。単にアキラちゃんが瞬殺されるだけ、ですかね。(死んではないんだけど)
やはり、設定詰めすぎな割に生かせてない感じはあるのかなあ、と思います。

論理の転換が唐突かつ、なんかもったいない

ヴヴヴ2ndシーズンについて思うことの一つに
「ヴァルヴレイヴは1stの方がおもしろかった」って人と
「ヴァルヴレイヴは2ndの方がおもしろい」って人が混在してたことがあるんですよね。
僕個人としては、どっちもそこそこわかる。
昨今のアニメのストーリーの代表的な型に、「今の大人(視聴者)がとれない子供の論理で動くキャラを見て痛快感を得る」ものか、「大人の論理でがんばりながらも悪役に一泡吹かす」っていうのがあるかなと思うわけですよ。
たとえば今年大流行した半沢直樹なんかは、後者の代表例ですよね。大人の理屈でガチガチに固められた社会のなかで半沢が悪に一泡吹かすという、時代劇的な展開、これぞ半沢直樹の醍醐味だったかなと思うわけです。
これに割と近い展開で進められたのがヴヴヴ2ndシーズンなのかなと思います。
指南ショーコが「総理大臣の理屈で動く」というのが、もっとも象徴的な場面なのかなとも思います。
自分の気持ちを押し殺して、大局を見据えて「グループの利害」で動いている指南ショーコは、「大人の理屈」で動いているもののもっとも象徴的なものでしたね。
一方で、1stシーズンは徹底的に「子供の論理」で動いていたわけですよ。それは言い換えれば「俺がこうやりたいからこうやる」と言い換えてもいいかもしれない。
「やりたいこと! 全部やろう!!!」
がまさにその象徴ともいえる台詞だったわけです。
子供はわがままなもの、その理屈は時に理不尽だけれども、感情移入してしまったらどうにもならない、納得するしかない、そういう理屈で動いていたのが、1stシーズンだったわけですよ。
では、その「相異なる理屈で動く二つ理屈」はどこで切り替わったかというのを考えてみると、おそらく13話(2ndシーズン1話)なんですよね。
中立地帯の月にたどり着いたモジュール77の生徒たち、彼らが到着と前後してドルシアから攻撃を受けて、辛くも撃退したはいいけれども、数ヶ月の時が過ぎて地球降下作戦に移る。
おそらく、この間に考え方の大きな転換があった。
それは、ちらっと描写されている対外的な交渉の場面とかが契機になった。
そして彼らは大人になったのだ。
で納得するには少し描写が雑できちっと流れに乗りきれない感があるかな、というのが個人的な感想です。
確かにドルシアの大きな武力と戦っていくためには、色々個人を殺して大人の理屈で冷徹に動く必要があるかもしれない。
しかし! ですよ。
「やりたいこと! 全部やろう!!!!! 欲張りキングになろう!!!!!!!!!」
って言って総理大臣になった人間が、ずばっと大人の理屈に縛られちゃうのは、若干違和感がある。
そうして「なし崩し的」に切り替わった行動理念の元に、2ndシーズンがずーっと動かされるから、ノリきれない人間はどうにもノリきれないんですよね。
しかも、21話あたりからの最終局面では結局「大人の理屈、表面的に嘘を重ねた理屈をぶちやぶる」ことが一つのテーマになってくるわけじゃないですか。
となればもはや物語の一つのテーマは、築きあげられた大人の理屈をわがままでぶちこわす、というシナリオになるわけですよ。
最終話でカイン大佐が「歴史を知らぬ子供が!!」って言ってるのをハルトのヴァルヴレイヴ1号機がグーパンでぶちのめすのなんか、そのもっとも最たる例です。
これは、いわば「とある魔術の禁書目録」で行われているそげぶ式メソッドなんですよ。
大局的に見れば多少の犠牲は強いるかもしれないけれど世界はそこそこうまく回るシステムに対して、「その犠牲がたまたま自分たちのとこに向かってきた集団」からの強烈なしっぺ返し。
百一人評議会は犠牲を強いるところを間違えた、それだけなんだ。たまたま世界を暴くシステムを持ってるところに喧嘩を売ったのが悪い、と。
そう理解した瞬間に色々と腑に落ちたような気はします。
じゃあ、それでいいのかという問題は別なんですけれども。先に述べたように「大人の論理」の構築がすごく雑で、「じゃあなんでそう考えるのか」という点を視聴者が考えて補完しなければならない側面は非常に強いと思います。
視聴者が色々考えて、「もともとおもしろいものをより楽しめる」作品はすばらしいけれども「色々考えないと今ひとつおもしろいと思えない」作品がイイ作品なのかというと僕は疑問が残りますね。
行間を読むことはあくまでプラスアルファであるべき、というのは僕の知人の言葉です。
ほんとにその通りだと思って、ヴァルヴレイヴは素直に見るには色々描きが足りないと思うんですよね。それを「深い」と言うのは「わかってる」人の勝手だとは思うんですけれども……。


まああと色々言い出したらきりがないのでちょくちょく追加するかもしれないですが、年が明けるので今年の締めの記事としてこのあたりで。
ほかにも色々ヴヴヴには思うところがあるんですが、いったんここで閉めってことで・