ディベート雑記 強い意見

凄く久しぶりにディベ関連の記事を書いてみようか。
泰季さんからのコメントを受けて、というのもあるかもしれません。
ディベートに於いて強い意見というのは、主に二系統に分けられると思います。
一つは誰も予想していなかった意外性の高い意見で、もう一つは誰もが普遍的に納得する当たり前の意見です。
別の言い方をすれば、前者は虚を突いて相手に反論をさせない意見であり、後者は相手の反論を飲み込んでしまえる意見でしょう。
前者が強者として許されてしまう辺りは1ゲーム約1時間、遅すぎる反駁も認めないということでゲームとして行うディベートの、ある意味で非常にゲーム臭い点だとは思うのですが、そこはそこと割り切って今回はこの二つの種類の意見について軽く考えてみようかと思います。
長いのでメインは追記で〜。

意外性の高い意見=反論をさせない場合

ディベート甲子園の場合は事前からしっかりと準備をして相手側の立論にどの系統が出てきたら大まかこういう反論をしよう、というようなことまで考えて試合に臨むことが殆どだと思います。
となれば、相手が反論パターンを用意していない議論を持ち出せば、ともすれば相手の混乱を誘いつつ上手く相手に議論させないまま最初に提示した意見を最後まで残すことが出来るかも知れません。
これを立論でやると、いわゆるびっくり立論というヤツになります。
甲子園関係者はご存じの通り、ディベートの意見の強さは最終的に提示されたメリット/デメリット発生過程(どれほど発生するか)×重要・深刻性(どれほど重要か)で量られ、いくつかの(デ)メリットがあればそれらを足し併せて肯定側否定側どちらの意見が勝っているかを比べ、勝者を決めます(最近はこのメリット・デメリット式の論法以外の論法も現れつつありますが)。
たとえば核となる本命の(デ)メリットの他にこのびっくりパターンの(デ)メリットを一本、サブで分量も多くないとしても用意しておく。そうすれば、最終的に本命は相手の(デ)メリットと相殺する形になって、殆ど反論もされなかったサブの(デ)メリットが残って勝ち〜、なんてこともあるかもしれません。
僕が見たことのある議論では、立論ではないのですが、炭素税論題のときですが、炭素税を導入する際に補助金をプランにくっつけた場合、企業と政府の癒着が進むだろう、なんていうびっくり反駁を見たことがあります。まずその着眼点に恐れ入りました。果たして自分がこれとぶつかったときにはどう反駁できたかなぁ。no ideaですね。
但し、びっくりパターンには勿論致命的な弱点があります。
この手の意見の強みは相手の虚を突いて反論させないことにあることは既に述べた通りです。故に、相手が予想済みで反論を用意していたり、或いは機転を利かせてきちんとした反論を返してきた場合、一瞬で瓦解、立て直し不可能となることもあります。
そもそも意外性があるということは、あまり普通の人が考えつかないと言うことで、着眼点やロジックからしてどこか変わっていることが多いんですよ。となれば、次の2点がパッと思いつく問題点です。

  1. 証拠資料が見つからない
  2. ジャッジや聴衆にわかりにくい論理になりがち

ディベートの準備で相当の時間を取られる作業の一つが、いろいろな資料を当たって、自分たちの意見を補強する証拠資料を見つけてくるというものです。当たり前ですが珍しい着眼点の意見について述べている資料が発行されていることは珍しいです。となれば資料が見つからず、ロジックだけで意見を立てなければならないなんてこともしばしば。
知っての通りとは思いますが「資料がないのでこの意見はあまり意味がありません」という反駁は無意味です。資料が無かろうが、ロジックがきちんと立っていて納得できる意見であるのなら、ジャッジは採用します。まあ……資料がある意見よりは少々軽く採るかも知れませんがそれは状況次第です。
ですが、次にロジックが問題になってくるのです。ディベートは限られた時間で分かり易いロジックを展開して聴衆を、その代表であるジャッジを納得させるゲームです。
珍しい着眼点、変わったロジックで立てた(デ)メリットは、論者たちの間ではきちんと完成しているつもりでも、それを聴いているがわからすれば「?」となってしまうような独りよがりなものになりがちです。
複雑で難解なロジックを展開して相手チームの反駁をまともにさせない……というのなら、それも作戦なのかも知れません。目くらましをしてはいけないというルールはありません。けれども、それでジャッジにも理解できないレベルになっていては意味がありません。そんなことになれば大体泥仕合になって講評されるジャッジの方に「もっと分かり易く組み立ててください」と説教喰らう羽目になります。
わけの分からないまま放置された議論が採られる場合と、わけが分からないから無かったことにされる場合、これはジャッジの論題に対する理解度・頭の柔らかさなどにもよります。そんな風にジャッジに丸投げする議論は、ディベーターとしてはするべきではないでしょう。
と、まあこんな感じで、びっくり議論はびっくり議論で良い点悪い点があって、使うなら使うでいろいろ考えることは必要と言うことです。
個人的には、相手の意表を突く議論の組み立ては本命の王道意見で行う議論の反駁なんかがきちっと準備できた上でサブとして、余裕があれば仕込んでおく、くらいで良いと思います。
もしも相手が予想もしないような議論を持ち出してきたら……。その時は、素直に相手を感心しながら常識的に反駁すれば良いんです。そこでアドリブ的に反駁する力も、ディベーターとしての強さです。
どう鍛えればいいのか……っていうと、なかなか「これ」と言い難いのですが、びっくり議論には大抵穴があるので慌てず注意深く相手の意見を聞くことです。
因みにびっくり議論に関する僕の最悪の思い出は、原子力廃止論題の時に某高校にプラン実効可能性を否定されてそれに対して有効反駁ゼロ、何故かジャッジがフィアットを無視してその反駁を採用してしまう、と言う事態で負けてしまったことです。
当時はルールもあんまり把握できてなかったのでアピールタイムでフィアット指摘も出来ず、下らないミスで勝ちを落としてしまったなぁと……思い出すだけで凹みます。

王道意見の場合

びっくり議論の僕の語り口を見ていれば大体察することも出来るかと思いますが、僕はびっくり系はあんまり好きじゃありません。理由は2点あります。

  1. びっくり系の議論は(特に地区大会レベルだと)議論がかみ合わないことが多くて、ジャッジとして見ていてつまらない
  2. 第二反駁経験者としては王道意見で綺麗に価値比較をしてまとめる方が楽しいと感じる

非常に個人的・主観的な意見なのですが、まごう事なき本音です。
僕如きの立場で教育的なことを言わせて貰えば、ディベート甲子園は議論する場です。議論する場でそもそも相手の反論を避けるような意見を出すことはせず、がっぷり四つに組み合った上で相手の意見に対して自分たちの意見をぶつけて欲しい。そうして勝負をしないことには、教育の場としてのディベート甲子園の意味が薄れてしまうのではないかと思います。
で、がっぷり四つに組み合ってない試合は見ていてつまらないんですよ。
逆に、お互いにツボを押さえて反論して、攻守が入れ替わる毎に優位が変わる試合というのは見ていてとても面白い。ジャッジとして見ていても一聴衆としてどちらも応援したくなる。
いつの世もフェアプレーは好まれる、といいますか。とにかくそう言う試合を望むのは、ジャッジも人間である以上は当然です。
加えて、2つめの理由であげたようなことがあるので論者にとっても王道意見の方が良い場合が多いのです。変な着眼点での議論はまとめにくいです。二反泣かせ、とまではいかないですが、細かくて穿った着眼点がいくつかあるよりは、一つ筋の通った意見がきちんと重要性を持って語りかけてくる意見の方が第二反駁で推しやすい。


さて、ここでもう一度見方を変えて、王道意見について検討します。
王道意見というのは、読んで字のごとく王道の意見です。
誰でも思うようなこと。誰が聴いても当たり前のこと。
ディベートで言うなら論題を聴いて「まず思いつくこと」。
これは、強い。
正直なところ、よしけむ個人は王道意見を無視したチームに勝ちは無いとさえ思います。
例えば、自分がほやったので炭素税を引っ張りますが、炭素税をかけてCO2を減らせば温暖化を止めることが出来る。というのが炭素税論題で最も基本となる王道意見だと思います。
ところがこの王道意見がやっかいな者で、

  • 炭素税をかければCO2が減るのか?
  • CO2が減れば温暖化は止まるのか?
  • 温暖化を止めることが本当に重要なのか?

などなどいろいろな点から反駁が出てきます。
実際、特に炭素税の場合は元々経済界からの反発が強いことも後押ししてこういう反駁の証拠資料が山ほどあったんですよね。
となれば、こういう反駁への再反駁も考えなければならない。大変だ。
なんとなれば反駁させない方向へと話を持っていけばいいじゃないか。
炭素税をかければ技術革新が進んで日本が世界経済での競争力をGET出来るよ!そんなびっくりプランを立てる方向へと進んでしまうこともあるかも知れません。
けれど、これはジャッジとして見てみるとあまり好ましくない。まずこのパターンで相手の議論をかわそうとすれば論題充当性を満たさない罠にはまりかねない。が、論題充当性の話は難しいのでまたいずれ。
ポイントは2つあります。2つの顔を持っていて、実は本当は1つなのですが、今は敢えて別々に説明します。
1つめ。こうした意見を提示すると論題とメリットがジャッジの中で結びつきにくいんです。ディベートは、高校では立論6分。その間に一番基本となる意見を述べきってジャッジにとりあえず納得しして貰わなければならない。となれば、出来るだけ分かり易い方が良い。
その時、ジャッジの中にある「思いこみ」に敢えて反するのは、割としんどいことなんです。
王道意見で温暖化を止めよう! と述べるのならジャッジも「確かにね〜」と思って、論理の筋道を一発で理解できるかもしれません。ですが穿ったことを言った瞬間に「なんで?」の疑問が首をもたげる。そのロスが6分の中では惜しい。
上手く理解されない意見ほどディベートで勿体ない者は無いのです。
2つ目は、メリットの固有性の問題(プランの内因性の問題)。つまり、そのメリットは当該論題の肯定に依ってしか達成することが出来ない、という点。この点を反駁し出すと実は議論が面白くないのですが、ルール上重要な点なので今回敢えて触れておきます。
例えば、先ほどの「炭素税→国際競争力」の例をもう一度取りあげましょう。このメリットの流れを納得したとして、それでは、何故論題の通り炭素税を導入するのですか? という疑問にはどう答えましょうか?
A.国際社会での競争力をえる為に炭素税を導入します。
なんか、おかしくないですか?
国際競争力なら別の形でも高めることが出来る気がする。そう思いますよね? 具体的方策は、技術開発促進予算を取るとか、いろいろあると思いますが、今回はそれはどうでもいいことです。
言いたいことは、手段の為に目的を選んではいけないということなのです。
論題を肯定する、という手段の為に、論題の持つ意味を歪めて本来の目的とは別のゴールを設定する。つまり今回の場合は炭素税は本来温暖化防止の為である筈なのに、炭素税を導入することを優先するあまりに経済問題を大きな目的として見せるようなロジックを立ててしまうことです。
それは道理が通らないんです。
王道意見から外れると往々にしてこういう事態になりがちです。
それでもメリットの固有性について議論が為されることは、少なくとも地区大会レベルでは、中四国では殆ど見ません。その為、変なメリットでも最後まで残ることが多くて、一切反駁がされない場合はジャッジは余程のことがない限りは採用します。ということで変な意見でも勝てちゃったりするんですが……。
この話は、基本的には相手側の議論を潰す、という考えで見直すよりも自分たちの意見を見直す考えで一度振り返ってみて欲しいことです。勝つ為の議論を組み立てることは大切なことですが、見失っているものはないですか? というお話。



結論に代えて

その場その場で最善の議論はあっても、最強の議論は存在しません。
それは一つの真実です。しかし、ケースバイケースであるとは言っても、いろいろな場合に応用が利いて、平均を取れば一番強い(だろう)立論、というのはあると思います。
そして、僕は、それは王道の論理に乗っかったものだと思うのです。
野球で言えば基本の守備位置、カタンで言えば土木68、麻雀で言うとタンヤオピンフの様なもの。王道が王道たる所以というのは、確かにあるんです。
なので、ディベート甲子園に臨む高校生の方々には一本軸を通してしっかりした王道意見に乗った上で、相手の意見とがっぷり四つに組み合って欲しいなって思います。



暫くぶりにディベートのことを本気で書き連ねたので、用語の用法に誤りがあるかも知れません(特に内因性とか固有性とか)。その際にはご指摘いただければ幸いです。
因みにこれまでに書いたディベート記事一覧
http://d.hatena.ne.jp/yoshikem/archive?word=%2a%5b%a5%c7%a5%a3%a5%d9%a1%bc%a5%c8%5d