ディベート病?

確かに、ディベート甲子園は終わって、高校3年生である以上yoshikemはもう高校生としてディベートをやることはないんです。
しかし、現状分析を行います。
なんかディベートが頭から離れません。
発生過程を3点説明します。
1点目、気が付いたら炭素税のことを考えていて、終わった試合の反駁検討なんかをしています。
2点目、日常会話にメリットとかデメリットとかが普通に出てきます。
3点目、気が付いたら字数を「立論何本分」でカウントしつつあります。
3点目補足、この夏前半はディベートでいっぱいいっぱいで、趣味(本業)の方のモノカキが全然出来なかったんですね。
で、今日から復活してエディタと向かい合ってるんですけど、ある時、「そう言えば何字くらい書いたのかな〜?」と思って字数カウントしちゃったんです(この辺りが既に立論書きの時の行動が出ている)。
で、出てきた字数が3000字。
思った感想が「お〜、立論一本分か。ちょっと削らなきゃ(?)」
いや、自分でヤバさ感じましたね、ちょっと。
違うだろ、って自分で突っ込む。
「だから、原稿用紙100枚くらいを考えてるから、40000字で、立論15本くらいだろ?」
って、それも違う〜。
昨日甲子園である人が「一万字レポート書け=立論3つ書けばいいんだな」と思いだしたらディベート病かも、と言われていたのとさらっとリンクして、う〜む、ディベート病にかかっているのかなと思ってしまいました。
でも、ディベート病って良さそうですけどね、いろいろな意味で。
なんかはじめの方で言ってることとの繋がりがよく判らないし……。
ディベート風に言うと「この発生過程は重要性とリンクしてないんですね」と(笑)。