MADという文化がありますが

多分古くは音MADに端を発するのかな。
僕は一応ラジオのニュースを適当に切り貼りしてむちゃくちゃな内容にしちゃうMADくらいまでしか記憶がさかのぼれませんが。
ともあれ、既存の音や映像を適当に切り貼りして何か面白くしちゃれ、というのが本来のMADの意味だと思います。
最近は無関係の楽曲に映像を切り貼りして自作PV風を作るのも含めたり、或いは手書きMADなんてものもあったりしますが。
ともあれ、そんなMADの話。


ことの発端はNFでうちのサークルのブースにてMADを流そうとし始めた後輩なんですけどね。
なーんか違うんじゃないって思ってよしけむが止めたのがことの発端。
うちのサークル、CMという名の企画で映像作品つくったりもしてるわけですが、まあなんていうか一応自分たちで作ってるってのが基本路線なわけです。創作サークルなので。
音源とかはテレビ番組のBGMやテーマ曲をちょろっと借りたりしてたんですけどね。
仮面○○ダーとかよく使ってた。もちろん黒か白かっていうと基本的に黒ですけどね。
それはそれとして、MADは別だろうと思ってしまう、よしけむ心。


だって、MADって基本切り貼りしてるだけで他人の素材やし。
MAD職人disるわけではないけど、基本的にMAD制作者は編集はしても、素材を作るようなことはないわけですよ。
背景抜くとか色々手間暇掛かる作業してる場合もあるでしょうけどね、でも、それとクリエイティブなことは別物だと、僕は考える。
僕自身昔電王OPMAD作ってYoutubeにアップして権利者削除食らったことがあります。
けどそれをNFで流そうという気はさらさら起こらなかったなぁ、としみじみ思います。
というか、(昨今のアニメやらを題材とした)MADは同好の士で楽しむため、既存の作品を愛でるための手段なわけで、自分の創作意欲を表現するのとはベクトルが違うんでは? とか思ってしまうわけです。
このあたり、ニコニコ動画があるのが当たり前で大学に入ってきた子達と、そうじゃない自分たちのジェネレーションギャップなのかなと思ったり、思わなかったり。