話は話の通じる人にしか通じない。

故に話の通じない人に話をしたところで無駄であるから、成果を得ようと思うのなら話の通じる人に話をするべきである。
当たり前のことを言ってるに過ぎないこういう文のことを循環論法というのだっけ?
しかし世の中往々にして当たり前のことだらけなのである。
「話の通じる人にしか話は通じない」
意味なんか考えるまでもなくその通りで、わざわざ言葉にする意味もないような気はしないでもない。けれども敢えて言葉にしたいことって言うのは確かにあるわけですよ。
でも「話の通じる人にしか話は通じない」という言葉それそのものが示す意味は極めて当然のことであり、循環論法になって何も言っていないようでも、実はこの言い回しがあるというそのことがメッセージを発信しているのは確かだろう。
つまり。

  1. 話の通じる人にしか話は通じない
  2. 世の中には話の通じない人もいる
  3. そう言う人に話をしようとすることは無駄である
  4. 故にそう言う人に当たってしまった時は速やかに回避し別の人を探すべきである

つまり、通じない人も通じる人もいる、のだからある人に話が通じなければ、別の人に再チャレンジすれば良いだけの話、とかそういうこと。
何が言いたいか。
冷房が機能してないことの苦情を言ってあしらわれても、別の人に言ってみれば改善されるものだという話。
未定が例会をしているカフェテリアルネの奥の方って言う場所は、はっきり言って風通しなんて無い。空間として空気が流れる構造をしていないし、そもそも生協は基本的に窓全閉で営業している。これは衛生上だとか花粉症の客だとか、諸問題が絡んでいるからだと思われるが、とにかく空調を動かさないことには空気は淀む一方の構造をしているのは確かなのだ。
ところで、最近気温が右肩上がりに上昇してどんどん春めいてきているわけだが、今のこの時期冷房をつけるのにはまだ早い室内で換気機能が半端だった場合何が起きるかなど、考えなくとも明白であるわけだ。
要するにこもった空気が異常高温を呈するようになる。
はっきり言って、サウナだった。いや、そんな汗だくだくになるとか、実際のサウナほど暑いとかは勿論無い。けれども、外気温や他の場所との温度差を考えるとアレはどう考えてもサウナ。30℃近くなってたんでは無かろうか。しかもこもった空気だから異様に酸素少ないし。結果どうなるかって言うと、なんか意識が朦朧としてくるわけですよ。あとパフェやソフトクリームが高速で溶けていく。
仕方ないからドレッシングコーナーで掃除をしていた店員さんに「気温が異常に上がってるんですがエアコンどうにかなりませんか?」と訊ねたら、「エアコンは調整できないんですよ」とにべもなく断られる。
ないわー……。冷静に考えたらそんなことあるわけ無いのに、その時はエアコンは集中管理されてるのかな、とか思って納得してしまった自分もないわー。
そして一度引き下がったわけですがやはり我慢ならず、今度は厨房で働いている人に同じように苦情を言いに行く。すると、その人は店長に取り次いでくれて、まあその後一度操作が不発に終わるという不手際はあったものの無事冷房稼働、快適環境が復活したわけですが。
最初のにーちゃんは一体何だったんだ……?
駄目ですね。やっぱり下っ端の人に話をしても。つくづく話の相手は選ぼうと思った日でした。
それにしても、他にもその高温エリアには多数の人がいたわけですが、わざわざ良いに言って改善を求めたのは僕一人だったっぽい。みんな我慢強いなあ……、と感心したわけです。