死神の精度

半ば気まぐれの様にMOVIXへ赴いて、死神の精度を見てきました。
以前から気になっていたのですよ。伊坂幸太郎さんの小説が映画化されるのに関して、ここまでは一勝一敗(アヒル鴨、ギャング)だったので、今回は果たしてどうなるのかと思っていたのですが……。
結論から言うと、映画としてはまずまず良かったんじゃないかなと思います。原作から随分とストーリーが改変された所もありましたが、単純に映画としてみるだけなら面白いストーリーにまとまってましたし、少々違和感を感じるところもありましたけれども良かったと思いますよ。
ラストシーンの爽快さなんか、僕は非常に好きです。
ただ、その一方で原作好きとしては素直に楽しめない要素も多分に孕んだ作品でしたねー。原作と別メディア作品、どうやって割り切るかというのは我々コンシュマーにとってはなかなか難しい話で、原作への思い入れが強ければ強いほどそれは困難を極めるわけです。
さて……、では以下ちょっとネタバレしつつ引っかかった点などを。
この映画は基本的に「死神の精度-Accuracy of Death-」より「死神の精度」「死神と藤田」「死神対老女」の三本を元にアレンジした、連作短編映画でした。連作3短編を上手い具合に一本の映画に仕上げる為に、幾らか変えている所があったんですが、まあ許容できるものから無茶があると思うものまでそれなりに。
まず死神の精度に関して。これは一本目ということもあってほぼ原作通りにことが進んでおりました。どうやら神戸でロケをしたらしく、最後に一恵が連れ込まれかけたカラオケがジャンカラで少し笑ってしまいました。恋愛っぽい要素なんかも織り交ぜて、ある意味で非常に「映画っぽく」なってはいましたが、これ自体は嫌いと言うこともない。
ただ、問題は死神の「精度」が全くもって生かされていなかったってことでしょうか……。折角一恵はコイントスをやっているにも拘わらず、映画として綺麗に繋ぎたかった為か知らないけれど最後に千葉がコイントスをしなかったんですよ。じゃあ映画タイトルにもなってる「精度」って一体何?って話でありまして……、こういうキーポイントを踏み外すのは僕は結構嫌いです。うーん……。
さて、次は藤田。任侠格好いい! というお話ですが、藤田がちょっと軽かったような気が……。なんていうか藤田はもっと巌の様な渋い作りにして欲しかったんですが……、まあそれはいいや。問題は乱闘シーンを結局描いてしまったってことでしょうか。
原作は「藤田が来る」というところで終わっているから良かったのに……、という感じであそこまで完全に描き尽くされてしまうとむしろ拍子抜けしてしまう感じもなきにしもあらず。そして、この話の中で仄めかされる亜久津と一恵の関係。……いや、それはないだろうと思ったのですが、……、うーん……。
最後は死神対老女だったんですが……、まず老女が一恵だったというのは、果たして良かったのか。一瞬、同じ人間に対して二度も死に神が派遣されるというのは物語として何か大きな破綻をもたらしてしまうのではないのかと思ってしまったのですが、実はここに改めて「精度」の焼き直しが行われているのかも知れないと感じもしました。ターゲットが選ばれる基準とは何か、これは劇中で千葉が幾度か疑問に感じていたことだったのですが、原作に於いてはラストでのみ千葉が若干疑問に思ったことでした。それは古川朝美(=原作の老女)の周りには死が溢れすぎていると言うことに対して感じたことだったのですが、映画中に於いては藤木一恵の周りには死が溢れすぎているという話になっていました。その一恵に対して二度目となる千葉の接触、このような、同じ人間に対して二度目となる死神の審査が行われるという事態が死神の精度の「いい加減さ」を表している……ということなのかもしれません。まあ、改悪だとは思いますけれどね、やはり。
アンドロイドとか、無理に出さなくても良いのにと思ったのですが、まあ作りとして悪くはなかったから良しとしますか。子供の年齢が引き下げられていたのに関しても話それ自体は無理がなかったので可かな〜……。
描き切れていない感は否めませんでしたね。死神の精度という連作短編の絡み合う伏線を拾いきれておらず、原作の芸術を知るものからしたら劣化コピーのような印象を受けるのは仕方がないでしょう。でも、映画としては良かったと思います。
最後に、犬は可愛かったね。上手い具合に死神の制度を説明していたと思います。