俺、この演奏会が無事成功したら進級できるんですよ

桜の蕾、ふくらみ中@朝日高校
鈍い衝突音を聞きながら、いつかそう言っていた彼の笑顔を幻視した。加速する感覚は、しかしどれ程急いでも悲劇を止めるのには間に合わない。冗談みたいにゆっくりと跳ね上げられるヴィオラが高く高く放物線を描く。
カラン、と。
乾いた音が響いた。

それなんて死亡フラグ&回収?
あ、勿論現実とはなんの関係もありませんよ。ただ、演奏会がらみでこの時期で死亡フラグを作ってみるとしたらそんな感じかな、と。
さて、少し昔話をしましょうか。勿論上記の死亡フラグはマジで無関係。
集団に所属する以上、その集団から外れた行動をとるというのは許される行為ではないだろう。集団を変える権利は、所属するものなら誰にでもあるだろう。しかし、その集団を変えられなかったからといって、全体から大きく外れた行為をとって結果として集団全体に迷惑をかけると言うようなことは、問題外であろう。
ところで、部活動というのは個人に対してそれほど強制力を持つものだろうか。というと、僕はそれは否なのではないかと考える。管弦楽部にしてもそうだ。僕だって部活動にはなんかめちゃめちゃ献身的になっていたが、それは決して何らかの強制力によるものではなく、他の部員に迷惑をかけないようという義務感や、全体が上手く動けばいいと思う気持ちからだった。まあ、その話は今は良い。
集団には抜け時という物がある、気がする。沈みかけの船からはさっさと抜け出せという、そういうのとは少し違う。……まあコレは部活動やサークルにしか見られない話かも知れないが。ある部なりサークルなりに訪れて、そのまま所属するのか、否か。それは可及的速やかに決断・実行されるべきである。なぜなら集団が一度所属した人員を失うと言うことは、入る見込みすら不明な人物とすれ違うことより遙かに傷が大きいからである。特に管弦楽部などはそうだ。楽器の役割など、物によっては一個人が楽団全体でのオンリーワンの役を担うことも少なくない。その責任を負ってから投げ出すのと、そもそも負うことを拒むことは全く異なる。
いや、その話も良い。ともかく、昔辞め時を掴み損ねた男がいたわけだ。そもそもが何かの間違いのようなもので見学に行って、ノリだけで入部してしまった。拘束時間は長いし、しんどいし、朝練はおよそ体力的に出られそうもない=部の活動に完全には参加できない。ここにいることが正しいのか、疑問を抱えたまま時は過ぎ、気が付けばそこにいることが当たり前になっていた。時折、もしここに所属しなければもっと違うことが一杯出来たはずだという思いが過ぎり、辞めなかったことを少し悔いる。しかし、その何倍も何十倍もここにいることの充実感を感じ、いつしかその集団は男にとって無二の物になっていた。
無我夢中にがむしゃらに突き進んだ一年が過ぎると、二年生となった彼にはそれとなく責任が降りてきて、色々と気にかけなければならないことも増えた。が、それはむしろ楽しかった。忙しさにせき立てられるように過ぎていく日々は充実しており、周りに不満があったがそんなことに振り回されることすら馬鹿らしいくらいに濃密な日々を満喫していた。そりゃ、勿論時には些細なことで周りと衝突したこともあったが、引きずることもまれで、脳天気に自分が正しいと思うことを何のてらいもなく主張し実行してきた。
ある時、彼は倒れた。精確には倒れたわけではないが、一週間ほど疲労で学校を休んだのだ。その休養が彼に与えたものは、意外と多かった。まず、自分がいなくても部活に問題が生じることなど無い。そのことが、彼をずいぶんとホッとさせる反面少々淋しくもさせた。かけがえのない駒でありたいと、そう考えて東奔西走してきた日々、それに本当に意味があったのか。そんな疑問が投げかけられた。それから、周りの人間が思いの外彼のことを心配してくれているのが分かった。基本的にはドライに、余り人付き合いを深めずに(深められずに)やってきた彼、忙しさにかまけて他人への気遣いを忘れていた彼に、周りの反応は存外に温かかった。心配されていた。そのことが嬉しくもあり、また一層彼の自己犠牲精神に火をつけたのかも知れなかった。自分が地に潜って色々な支えをするから、地上は円満に輝けとでも、一体何様のつもりか、そんなことを思いこんでいた。
それからも色々あった。
結局彼は己の方向性を枉げることなく、スタンドプレイばかりではあったもののそれなりに集団に貢献できたと自負していた。
そして、その言葉が出たのは、安っぽい矜持からだった。
自分が色々と舞台を整える作業をしているのだから勿論周りはそれに見合った頑張りをしてくれなければ困ると、そんなことも考えていたのかも知れない。となれば自然と周りへの苛立ちも多少は生まれる。
そんなことを思う権利があるほど、彼は偉かったのか?
まあ、とにかく言ってしまった。
でもって、あんなことがあった。
その一言に非がなかったとは言わない。しかし、だからといって責任を放棄するのはまた別の問題だ。だから謝罪や反省は決して無く、今となってはあれはただの過去。とるに足らない一ページでしかない。

いや、深い意味はない。
ただ、若かったなあと。
脳天気な自分はそう言うのに無縁だと思っていたんですが、実はそうでもなかったという話。
この時期、みんな疲れてナイーヴになってくるし、大集団はやっぱり大変だ。そんなことを思う。