●RECカッコ悪い

定期演奏会の段取りとかを考えていて、ふと気になったこと。残念なことにウチの定期演奏会には何人か無粋なことをするお客さんがいる。確証はないが、十中八九団員の親御さんだとおもう。
コンサートの場というのは録音録画禁止であるのが当然なのですが、じゃあ子供の晴れ舞台をビデオに収めたいという親御さん相手に自分はちゃんと反論できるのかなっていう。
実はちょっと怪しいかも知れない。
例えば肖像権、著作権の問題がある。朝日の定期演奏会ソリストを呼んでいるため、録画や撮影の際にはソリストの肖像権という問題が極めてセンシティブに絡んでくることになる。或いは、クラシック音楽を演奏会で演奏する際の著作権ってのについてどういう諸手続があるのかは知らないですが、少なくとも映画音楽なんかはまだわかりやすく著作権が切れていないものが多くて、確実に一般的な著作権料払いが発生するものと思われる(それが何処に対して行われるかは知らないけれど)。管弦楽団として、ソリストに来ていただく契約や演奏会を催すに当たって著作権者と交わす契約というのは、「演奏会で一度上演し、自分たち向け(=非販売目的)で録音録画する」、という条件の下に結ばれている、と思う。詳しくは知らないけれど。というわけで、そう言う契約の下で行われる演奏会で第三者が録音録画を行うというのは、これらの契約には含まれないので当然ソリスト著作権者が異議を唱えることが出来る。ただ、これは親告罪だと思われるので当人が直接うったえないかぎりは罪として成立しない筈。だが、だからといって放っておいて良いのかというとそう言うわけでもなく、安易にそうやって肖像権の侵害を許してしまうというのは楽団の沽券にも関わるわけで、当然録音録画をなそうとする不届き者は規制していく。そういう筋書きもある。
しかし、この場合、親御さんが自分の家で見るだけで誰に迷惑をかけるわけでもそれでお金を儲けたりしようとするわけでもない、と言われた場合的確に反論できるのかというと……、僕は自信がない。著作権や肖像権というのはその権利を持つ主体者の権利を護るためにあるもので、詰まるところ彼らの権利を侵害しない行為に対してまで何らかの制約を課すものではないと言えるし、その程度のことなら大目に見ても良いのかも、と思うのも事実である。勿論、当人の意志を無視して勝手に写真を撮ると言うことは許されて良い行為ではないのだが、恐らく親御さんにとってはソリストや他の楽団員など目的でも何でもなく、ただ単に自分の子供のみがその被写体としてファインダーに映っていることだろう。要するに他は全て風景。そこまで割り切った人をきちんと説き伏せられるほど、僕は肖像権関係のことに詳しくはないし、そこまでいけないこととも思えない。ということで、実はこの論法ではあまり自信を持てないのである。
ところで、ライブ録音とスタジオ録音という二種類の録音が、クラシック音楽の音源にはある。ライブ録音というのは実際にコンサート会場で聴衆を置いてコンサートを行ったものを録音したもので、拍手や聴衆の咳など入っている場合も少なくない。対してスタジオ録音はどこかのスタジオ(或いはホール)で聴衆など無くオーケストラの団員たちのみで行った演奏を録音したもので、よりよい音源を作るために録音のために最適化した環境で、録音を目的として演奏するのである(よく知らないけど)。多分一般的にはスタジオ録音の方がライブ録音より音楽としての完成度が高かったり、或いはそもそも録音技術の面で遙かにいい音で録音できていたりするんでしょうが、ライブ録音の雰囲気が好きと言う人もクラシック好きの中には少なくない。それは、ライブ録音はただ一度の出会いの中で生み出される生々しい息づかいが感じられるから、だと僕は思う。少なくとも僕はそう言う理由でライブ録音は好きである。
だが、同時にこうも思う。そう言った生々しさというのはCDで聞いても所詮良くできたまがい物で、本当の息づかいは実際にコンサート会場で生の演奏を聴かないと味わえない、と。そして同時に、CDにその一部でも収録されている熱気の一部というのは、本来その時その場にいた奏者と聴衆のみによって共有されるべきもので、他の何人たりともその一端をかいま見ることなど許されないのではないかと。
いや、古臭いことを言っているような気はするし、現実にコンサートの録音録画なんてたくさん行われていることで、朝日オケだって自分たち用に録音録画はするわけですが。しかし、本来音楽の文化というのはそうやって生音を全身で感じることによって魂を響かせ合うことで拡げられてきたんじゃないのかなと、そんなことを思うのですよ。だからこそ奏者は一度のコンサートに全力でもって臨むし、聴衆もその演奏に心湧くわけですよね。だから、そんなコンサートの原点に立ち返って、いち演奏者としての気持ちを考えると、安易に録音録画して欲しくない。そんなことをするなら今この瞬間の演奏に耳を傾けて、心のフィルムに刻みつけて欲しいと思う。
青臭い? そんなの望むところです。青臭くて暑苦しい理想に溺れそうになるくらいでなきゃ、こんなに大変な定期演奏会、関わろうなんて思いもしない。
理想論から離れた現実論として、コンサートは一人のものではないという味方もある。聴衆が何人いるか知らないが、録音録画をしようとする人なんてほんの一部に過ぎない。その人達は、先ず他の人の気分を害するだろう。恥知らず、とね。さらにカメラのシャッター音や無粋なフラッシュ光がコンサートを汚す。最近はデジカメやデジタルビデオが手軽に扱える分、使用法に習熟せずに扱うものが増えたため、動作電子音を鳴らす初期設定のまま使う空気の読めない人もまれにいる。なんていうか、他人の迷惑を考えろっていう話なのだ。液晶が眩しく輝くなんて論外で、ファインダーを使うのは最低限の礼儀というのもおこがましい。録音録画をするその動作そのものが目障りであるだけでなく耳障りにもなるのだから、そんなこと、他のお客さんのことを考えたら許せるわけもない。
一言で言うなら、コンサート聴衆の嗜みというものだろう。互いに心地よく演奏に耳を傾け、音楽を共有する。そういうことを考えれば、録音や録画の機材をせこせこと取り出すことなんておよそ出来ないことのように思えるのだが……、まあ世の中そう都合良くも出来てはいないらしいのが現実。

さて、色々言ったが、結局の所、コンサートでそんな無粋なマネをしないというのは常識なのである。
僕らがやりたい定期演奏会は、子供のお遊戯発表会ではない。親御さんに見てもらうこと、それ自体が目的のわけではない。ターゲットは広く一般の聴衆であり、目指すところは音を楽しむ、音楽をプロデュースし、聴衆に思いを伝えること。聴いてもらうことはその過程でしかない、と言ってもあながち間違いではないかもしれない。
残念ながら、臆面もなく三脚を立てる人たちはそう言うことを理解してくれていないのだろうと思われる。そう言う意味で、楽団員の親御さんは時として楽団にもっとも身近でありながら、もっとも理解から遠い存在になっている場合がある(そう言う残念な方はごく一部に過ぎないとは思うが)。
僕は、定期演奏会を一流の演奏会にしたい。聴衆もコンサートホールが何をする場所か分かっていて、団員と聴衆の本気のぶつかり合い(?)が起きる奇跡の巡り会い、そう言うものを作り上げたいと思う。その場面に、恥知らずのレコーダーは不要なのだ。
その思いを胸に、胸を張って録音録画禁止を声高らかに叫ぼうと、そう思う。