忘れ得ぬ握手

定演も終わって一週間。
昨日はルネで管弦OGのM先輩とお会いして、改めてお疲れ様でしたと言う話をちょこっとしていました。
よく考えようが考えまいが、僕が管弦楽部員になったのは上の代の先輩の熱心な勧誘のお陰に他ならないのです。なにせ僕にはもともと音楽的土壌がほとんど無かったのだから(クラシックを聴くことさえ無かったのです!)。
直接の決め手になったのはM先輩ではなく、当時のヴィオラ隊二年だったT先輩たちの勧誘で、その面白さだったのですが、しかし僕の人生を明らかに変えた管弦楽部、その出会いを考えると、つくづく一つ上の先輩たちには頭が上がりません。
自分が二年生の時、一つ下の代と活動した思い出も大きいですが、そちらはどうも副部長職に押し潰されていた感がなきにしもあらず。果たして自分は一部員として存分に楽しめていたかと思うと……、疑問符が残る感じです。
その一方で一年生の時、音楽的には分かることも少なく、とにもかくにもトトロ、ブルッフのヴァイオリン協奏曲、キャンディードという難曲に挑戦していて、日々練習に練習、積んでも積んでも追いつかない限界へがむしゃらにひたすらに練習していたあの頃が、僕の部活のピークだったのかなぁと、しみじみ思い返してしまいます。
願わくば、今一度高校一年生に戻ってあの頃のメンバーでまた部活をしたいですね。頼れる先輩、憧れる先輩、頼れるのかどうか今ひとつ分からないなりにも楽しい先輩、全幅の信頼とともに切磋琢磨しあう同輩、ちょっと憧れる同輩、迷惑をかけて頭が上がらない同輩、時々「オイ」と突っ込みたくなる同輩。
あの頃へ帰ることはもう不可能なんですけどね。管弦を去った人や状況的に帰ってこられない人もいるし、そもそも帰ってきたとて定演の直前の数日間のみ。立場もなにもかもが違う。それが、現実。淋しいような気もします。

そんな高一の思い出。福井での全国高校総合文化祭で右も左も覚束ないままの春の声に始まり、クリスマスは暖房もないまま手をかじかませて練習してクリスマス会、春は保護者会に対してミニコンサートを行い、定演に終わる。
その定演で、どうにも忘れられない握手があるのです。
定演前日、ぶっちゃけ僕の祖母が亡くなってました。家族は確か定演当日の朝から京都へと来ていました。けれど、僕は、哀しいとは思いましたが定演を今更蹴るなんて出来ないと思って、親に猛烈に交渉して、どうにか定演終演後直ぐに移動するということで定演に出るのを認めて貰いました。
別に家族に見て欲しいというような気もなかったですし、自分はとにかく間違わずに弾ききる(今思えばアンサンブルを楽しむとか考えることもなく、その程度の望みしか持ち合わせていなかったのです!)ことを念頭に置き、興奮のままの二時間半を過ごしました。
当時は管楽器のみの曲、弦楽器のみの曲もあり、一年生が椅子並べにかり出されたりしましたし、第三部は制服でしたし、そもそもアンコールの春の声は勢いだけでやっていた感がありました。なんせみんなが一斉に出てきて、立ったまま演奏するんですから!
そんな興奮のるつぼの演奏会が終了して、僕は直ぐに京都へ発たなければなりませんでした。
終演後、全体での記念撮影を済ませると直ぐに一人荷物をまとめて帰る準備をしました。誰もが定演の片づけに奔走している中、一人荷物置き場となっていたスタジオ1(多分)で荷物をまとめていました。
そこへ、なんでだかは覚えてないんですけれど、当時チェロ隊の2年だったK先輩がやってこられました。僕の様子を見て、どうしたことか訊ねられたような気がします。そして、僕は多分ある程度の事情を説明したと思います。
先輩は納得したような顔をして、「とりあえず、おつかれ」みたいなことを言われて、僕と握手をしてくれました。
演奏は終わった。けれども直ぐに京都に行くことで頭がいっぱいになっていた僕は、その握手で初めて定演が終わったという実感を持つことが出来ました。
先輩にしたら何気ない握手の一つだったかも知れませんけど、僕にとっては、一年生の僕にとっては未だ忘れ得ぬ、定演を締めくくる重要な握手だったのです。
ヴィオラ隊の先輩じゃないし、そんな特別親しいわけでもなかったんですけどね。でも間違いなく尊敬している先輩でした。そして、改めてその場で尊敬し直した記憶があります。
流石に手の感触まで生々しく……、というわけには行きませんけどね(苦笑)。
その先輩には、今年ステージセッティングのことで再びお世話になり、つくづく頭が下がりました。やっぱり、凄い先輩でした。

そんなことを不意に考えたのです。
高校生の僕は青春をしていました。
時々、忙殺されてたんじゃないかって思うこともあるけれど。