蟲と眼球と白雪姫

蟲と眼球(めだま)と白雪姫 (MF文庫J)

蟲と眼球(めだま)と白雪姫 (MF文庫J)

あー……、先輩が「やっちゃったなぁって感じ」って言ってた意味がよく分かる。うん、僕も思います。やっちゃったなぁ……。
ファンタジー小説の世界というのは僕らが普段生きている世界とは異なる法則に因って支配されている世界、と解釈することが出来ると思うんです。その世界に於いて、多くの場合人間それに類する立場の者達はえてして弱者でありそんな立場の者達が、彼らを超越する、ある意味法則の埒外に居る連中と繰り広げていく物語、っていうのが一つのファンタジー小説の典型ですよね。主人公がやたら強いとか、もっと別の敵(自分の心の弱さ)と戦うとか、そんなのもありますけれど基本構造は「主人公」と大抵彼(女)とは異なる法則や状況に縛られた「敵」との対立構造。
そう言う構造で物語が繰り広げられる上で「敵」だって何らかの法則に縛られて制約を受けていると言うのが鉄則であり真理であり絶対的な前提だと思うわけです。古典を紐解くならばスレイヤーズでは敵の魔族たちは精神生物であるが故に「負けを認めたら消滅する」という法則に縛られていたり云々、そういった弱点などを主人公が上手く付いて敵を倒していくというのがまさに王道ファンタジーじゃないでしょうか?
敵や味方が無敵で万能で全知全能ではお話にならないと言うお話。
神、或いは神に類する力が関わると物語は危険性を孕む気がします。……てか今一番記憶に新しいのはついこの間最終回を迎えたGetBackers。銀次が創世の王となって創った世界は以前と一緒……、これって夢オチと何か違うのかという話。そういった超常的な力によってこれまでに起きた物語を全てチャラにしてしまうという結末は、どうにも読後感が悪いと思うのは僕だけでしょうか。ドラゴンボールだって神龍はセルや魔人ブウは殺せ無くって、悟空たちが頑張るしかなかったんですよ。涼宮ハルヒの「力」で物語をうやむやにしちゃったことなんか無くって、キョンたちの頑張りによってのみ世界は終わらない八月から抜け出せたのだし、神でも何でもない閉鎖空間限定超能力者の古泉一樹曰く「僕たちが何とかしなければ確実に世界は崩壊するのです」とか。仮面ライダーカブトだってハイパークロックアップしたら何でもアリの筈だし、ドラえもんが全ての秘密道具を駆使したら瞬時に目的は達せられるはずですよ?
とにかく、そういう何でもアリの無敵手段を用いて結末を強引にまとめる方法は僕はあまり好きではないし、正攻法ではないし、もっとストレートに言ってしまうと反則技だと思います。小説というのはある意味で読者の期待を裏切ってなんぼの物だとは思いますが、この裏切り方は違うと思います。「私は魔王を倒す!」と断言した勇者候補が懸賞金を思い切りかけて他の人に魔王を倒させるような、そんな始めと終わりは確かにあっているけれど途中経過が限りなくずれているような感じ。
……まあ、そういうオチだったわけですよ。四巻で折角万能一人部屋の肉山カヂリにブレイクサンの心配性と本人の性格と「血」という媒体から来る代償(=生命力)で制約をかけて物語のバランスをとっていたのに、最終巻でことごとく蹴り飛ばしちゃいましたね。……、だから、まあ、そういうオチって好きでないわけですよ。

日日日には偶然的にアンダカの怪造学で出会って、その後「蟲と眼球」と「ちーちゃんは悠久の向こう」に、同時にこちらから求めて会いに行ったんです。
アンダカは非常に王道で(サークルの某先輩などは王道すぎて今ひとつと言うのですが)、僕はああいう前向きで明るいお話は好きなんです。他のはどうなってるのかと思って読んでみて、蟲と眼球とテディベアで「キャラが荒唐無稽で、グロくて暗めで、そうは言っても最終的にはハッピーエンド(?)で期待は出来そう」という感じの第一印象だったわけですが。
殺菌消毒のラストは衝撃的で「うお!? ここからどうやってハッピーエンドに持って行く気だ!?」と創作屋としてむしろ違った興味が湧きながらも、この辺りから徐々にこの物語に若干迷走感を感じていました。三巻で大体何がやりたいのか分からなくなって四と五はほぼ完結させるための話、みたいな感じを受けましたね。
そんな感じを受けながら何故読んでいた? と疑問もあるかも知れませんがそこは若干恐い物見たさのような……、あと期待もあったんですよ。並行するアンダカは絶好調の王道まっしぐらでしたし(狂乱家族日記他は読んでないんですが)。
期待は裏切られたんですがね。
んー……、そんな感じ。上手くまとまらないや。