涼宮ハルヒの憂鬱V

今日も今日とて火曜の朝は涼宮ハルヒの憂鬱を観るのが日課です。
本編も佳境ですねぇ。
今日は神人さんVS古泉哲学のお話ですね(違)。
車の窓ガラスに古泉の顔が映り込んでる辺り、作り込みの細かさは相変わらずです。
神人の不気味さも作りが上手いですねぇ。
個人的にはもっと「しーん」と不気味に静まりかえってる方が合ってるかと思ってたんですが、オプションとして風の唸りのような声を立てるということで。
なんか、もののけ姫デイダラボッチに似てますね。もっと凶暴だけど。

時系列は前後しますが、ハルヒの哲学も今回出てきましたよね。
自分がどれだけちっぽけな存在か思い知ったことがあるか? というアレです。
ノローグは雰囲気が出ていて好きです。本当に、「涼宮ハルヒの憂鬱」が良く感じられるというか。
原作を読んだときにはそれほど感じなかったんですが、アニメで流れるようなハルヒの台詞を聞いて感じたことがあります。
あぁ、ハルヒって意外とつまらない人間なのかも、と。
確定ではないですよ。
でも、彼女はこう言っています。

あたしが世界で一番楽しいって思っているクラスも出来事も、こんなの、日本のどの学校でもありふれたことでしかないんだ。
日本全国の全ての人間から見たら普通の出来事でしかない。
そう気付いたとき、あたしは急に、あたしの周りの世界が色褪せたように感じた。

この独白は結構考えるべき価値があると思うわけですよ。
つまり、ハルヒは元々はそんなに世界をつまらなく感じる人間ではなかった、日常生活を楽しんでいる人間だったわけです。
なのに、自分が普通だって気付くことによって世界が色褪せて思えるようになった。
……、彼女の楽しさの根元は非常識性ですか? 自分(達)が特別だから楽しく思えるんですか?
普通のことを楽しむのはいけないことなんですか?
先日テレビでやっていたんですけれど、最近ペットブームで「レアな」犬種が人気で、普通じゃない色の個体は高値で取引されるらしいですね。
何故その色を好むのかと言うインタビューに答えていた人は「他の人が持っていないから」という答えを返していました。
それって犬本来の可愛さを見てないってことですよね。例えばありふれた犬でも、なんかよく分からない雑種でも、可愛いと思ったら可愛くて、それで好きならいいんじゃないですか(勿論格好良いという見方でもOK)。
それと同じで、涼宮ハルヒは「ありふれている」からと言って日常生活の楽しさから目を背けている。
それって、つまらなくないですか?
普通の学園生活にだって「楽しい・面白い」要素はあるんですから、それに目を向けない彼女は意外とつまらない人間なのかな、なんて今日は思ってしまいました。

あー、ディベートやった後はなんだか考え方が冷めるなぁ。
次回はいよいよ最終回か。
キョンが朝比奈さんといちゃいちゃして、ハルヒが切れて……、ですよね(そう言えば今回はみくるちゃん出番無し)。
今思い返してみればもっと伏線が張られていても良かったんじゃないのかと思わないでもないんですけどねぇ。
個人的には《着替えるからと言ってキョンハルヒが追い出すシーン》と、《あのラストの決めシーン》が注目です。
えぇ、僕はむず痒いシーンは好きですから。