イデアのコップ

コップin my mind
英語のwritingの授業で使ってる教材は、「ソフィーの世界」である。
日本語で内容を読んで、英語の問いに英語で答える、という形式。
それはさておき、今日描いたコップは、こんなモン実在しない、と言うコップである。
生協食堂各店に置かれているコップに似た形であることは否めないが、それは置いておこう。
要するにこれがイデアのコップというものだろうか。
ソクラテスイデアの世界が存在し、現実の世界にあるのはイデアの世界のコピーである存在ばかり、と考えた。
しかし、アリストテレスはそれに対して、イデアの存在=イメージであるか概念であるとかは、個人個人の中に経験から帰納的に形作られるものであって、完璧なイデアの世界など存在しないと言った。
僕はアリストテレス派である。
イデアの世界が存在するとなると、最初のイデアは誰が作ったという話になるからだ。
人間は発明をする生き物だ。
その発明品のイデアは、いつイデアの世界に存在し始めるのか、発明家が作るのか、或いはイデアの世界にはこれから発明されうる全ての存在の型が既にあり、発明家はそれを感知するだけなのか。
前者であるのならイデアそのものは人が作るものになり、イデアの超越性が無くなる。
後者であるなら、発明のロマンがない。
てなわけで、やっぱり全てのモトになる型なんて無いね。