それはつまりなめられているということだ

宮島勉強会からかむばーっく!
今日の午前中に4時間ほどラストのセッションを聞いて、宮島の変成岩シンポジウム終了。次回は京都だって。馬車馬のごとく働くの確定。
わーい。
次はただの参加者じゃなくて、何かをプロポーズ出来る方になりたいな。なる。
見ているだけは面白みが少なかったです。というか、悔しかった。
自分もあの舞台に立ちたい。
そんな思いをモチベーションの土台に組み込んで、次のステージへ行きましょうー。もってっけー。

帰ってきてから高校の部活にかる〜く顔を出したのですが……。
先生が丸くなったもんです。
僕らの頃からは考えられないくらい練習時間も短く、生徒に対する喋り方もゆるい。叱らない。叱ってもとても丸い叱り方。
僕ら自身が高校生の頃も、「OBが今のゆるさに怒ってる」みたいなことを先生からちょろっと聞いたことがありました。僕ら自身限界近くまで頑張ってたけれども、先生とも衝突とかしたけれども、それでもその時の先生はすでに上の代から見ればゆるかったらしい。
しかし……なぁ……、多分その落差はこんなもんじゃないと思うんですよねぇ……。
叱れない、ってことは、下手にきつく叱るとモチベーションがさがるという危惧がどこかにあるんでしょうと想像できて、それってつまりある意味で生徒を腫れ物のように扱ってるわけです。
練習時間を短くしてるのだって、ついてこれない生徒が多いというところがあるんでしょう。
僕自身、僕らの代の朝8時〜夜7時は正直馬鹿だったと思うんですが……、それでもこの時期5時に練習が終わるなんて信じられない。
もう、これはなめられてるといってもいいくらいだと思います。
限界値が低いと勝手に定規を当てられているわけですよ。
それはきっと、4月から、あるいは2年生に対しては去年から、色々な言動を見ていて先生がそういう方針を少しずつ固めたということなんでしょうけれども……。
いつの間にかそんなふうに評価が決められて、その測られた寸法の中でしか扱ってもらえなくなるっていうのは……怖いことですよ。
一皮むける機会が確実に減りますし、到達できうるところだってそれまでよりずっと低いところになる。
そんな勿体無いことってありますか?
うーん……、これがゆとりなんですかね……。


それはそれとして、今日は某楽器の先生が色々と指摘をくださっていたらしく、最後にもコメントをしていただけたのですが。
趣旨は、演じるならしっかり演じないと恥ずかしい、というようなことだったのですが、切り口に「好きなドラマは?」と生徒に聞くところから始められたんですね。
生徒「ブラッディ・マンデイ
先生「ブラッディ・マンデイw 知らないけど、凄いタイトルだね」
まあ、それでもそれなりにうまく話を引き出してありがたい訓示をいただいたのですが……。
生徒空気嫁
と思わざるをえない。
そこは先生と共通項を作れるような話題を選べよ。正直と馬鹿正直はちがうとおもうわけですよ。別に先生は君の趣味を聞きたくてそんな質問してるわけじゃないってことくらい、すこし考えればわかるじゃない。
龍馬伝福山雅治が……とか言っておけば多分今は相当無難でしょうし……。
これがゆとりなのか……。