変わっていっても好きでいられるのか?

まさにCLANNADの命題。
いや、これにどういう決着が付けられるのかは最後まで見てからでないと分からないんだけど。
高校の部活の定期演奏会
今年は、ちょっとは関わるけど、基本ノータッチの方向なのです。
去年からの反省を生かして今年動く為の土台作りはするけれど、具体的な今年の活動はするつもりがない。
……サボり?
そう見えるかも知れないけれど……、もし下手に手を出してあとで面倒事が起きたら非常に困るから。
だって、僕は3月は国内にいないわけで……、そんな状況でもし自分の責任で何かが起きたとしたら、うーん……そうなるくらいなら初めから僕抜きで色々が組まれた方が余程良いというもの。
そんな姿勢は、でもサボりともとれるし、或いは薄情者にも見えるんでしょうな。
それもまた事実の一側面だから何も言う気はないけれど。
実際、今年に関しては燃え尽き症候群みたいなのがあったのも事実ですから。
もう、自分がしゃかりきに動く必要がない。そう感じられるのは幸せなのか不幸せなのか。
もともとこんな微遠隔地からしゃしゃり出てた今までの方が不自然なんですけれどもね……。
そんな状況にしたのは自分自身の責任だし、ここはなんとも言えぬ。
手を出したがりは、悪い癖だよなー。
つくづく思います。