ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート

正統派……というのとも少し違うが、とにかく「余り奇を衒うことのない」分かり易いファンタジーを読んでいることが多いです。どの辺りまでがそう言うカテゴリにはいるのかは知らないけれど、少なくとも「ほうかご百物語」や「鋼殻のレギオス」はそういうのに入れても良いんじゃないかなって思います。あとシュピーゲルも。
例えばそれと毛色を違えるものとしては多分西尾維新であるとかがいると思うんですが……、まあちょっといつもと毛色の違うものも読んでみようかと思ったのです。
きっかけは間違いなく、「ルネに平積みにされていたから」。
表紙にも目を惹かれました。支倉十さんの絵は狼と香辛料でお世話になってますが、好きです。

タイトルからもわかるとおり、南米ベネズエラで誘拐された日本人観光客を、現地の警察官レイモンドが救出するという話です。
(作者あとがきより)

まあ、勿論そんなことはないわけですが。

最近、自分のツボというものを朧気ながら理解してきました。
ベネズエラ・ビター・マイ・スウィートもツボに入ってる作品です。
ツボとして自覚させられたのはリトバスのRefrain、沙耶ルート、CLANNADの風子ルート……って、Keyばっかじゃねーか!
まあ、要するに「消えてしまう」というのに非常に弱いんですね。
特に、「無かったことになってしまう」「周りは誰かが消えてしまってもそれを自然だと思っている」というのが駄目です。
で、本作もそんな要素がふんだんに詰まっていて、ツボでした。

京都で、やたら景色が目に浮かぶのはご愛敬です。正直、志賀越道が出てきた時には少々笑ってしまいました。
閑話休題

ひとつ、イケニエビトは殺した人だけがそのことを覚えてる。
ふたつ、イケニエビトは殺してもたった数年でよみがえる。
みっつ、タマシイビトは人の記憶をむしゃむしゃ食べる。
よっつ、タマシイビトはイケニエビトを好んで食べる。
いつつ、イケニエビトの歌は遠い国からやってくる。
むっつ、イケニエビトは自然とこの世に紛れ込む。
ななつ、タマシイビトは歌声聞いてやってくる。

主人公、明美は知り合いの神野から「女の子を殺した」と打ち明けられる。それをあっさりと受け容れたのは、肝が据わっているからでも何でもない。彼女もまた、幼い頃に女の子を殺したことがあったのだ。
殺される為だけに存在するイケニエビト、知り合いになってしまった明美
ふとしたきっかけで回り出した運命の歯車は、恋も何もかもひっくるめてきりきりとリズムを刻む。
現在の時間軸と、過去の出来事が二篇。上手い具合に絡められて、最後には派手なバトルでも何でもない目を見張る結末が待っていました。
剣も魔法も要らない世界(というかほぼ現実の京都)なわけで、大立ち回りなんて無いわけです。
そんな静かで、甘酸っぱくて切ない物語はまるで西日の差し込む放課後の教室のような雰囲気。
うーん……余韻が良かった。まあ結末の付け方は今ひとつ納得がいかない、というかそれで大団円なのかどうか疑問が残る感じではあるのですが。
ともあれ、胸に響く作品であったことは間違いないし、好きです。
どうやら続編というわけではないようなのですが、同じ世界観で明美の従姉妹(だったか?)が出てくる「プリンセス・ビター・マイ・スウィート」というのが出ているらしいです。
うん、興味惹かれるなぁ。近日中に買ってみよう。