ただの“文学少女”でもないもん!

彼女は探偵ではなくただの“文学少女”。それ故に彼女に出来ることは推理ではなく、物語を読み解いてその結末を想像すること。
いや、野村美月さんの“文学少女”シリーズの話ですが。
まあ“文学少女”ですらない僕に出来るのは根拠すらなく曖昧な想像をすることだけ。
何があったのか、これからどうなるのか。考えたって詮無い第三者である僕は、それ故に不干渉主義、でいこうかなと考えているのですが。ええ、日和見主義者です。みんながぬる〜く笑えていれば良いんじゃないのかなと思うわけです。
ああ、そう言う意味ではゴーオンイエローの主義は好きですね。スマイル満開。
何のことを書いているのやらって感じでしょうね。いや、まあ僕もそんなに書くつもりはないんです。結局の所真相すら知らずにぐだぐだと書くことほど無責任なこともないわけですし。
ただ、変って何だろうな〜恋ってなんだろうな〜と、ふと思ったりしてね。
愛という字は真心で恋という字は下心と歌ったのはサザンオールスターズですが、僕は恋というのは下心なんて計算尽くのものではなくもっと心の中心から押さえきれずにあふれ出てくる素直な感情のことを言うのだと思います。それ故に甘酸っぱくて、手に負えない感じ。
理性と言うよりは本能のレベルで、当人にはどうにも押さえきれなくなる、そういうものだと思うのです。
新明解国語辞典を引いてみると

特定の異性に深い愛情を抱き、その存在が身近に感じられる時は、他の全てを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感によって心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦燥に駆られる心的状態。

とあります。まあ、理性じゃないんですよね、要するに。昔から「恋は思案の外」という言い回しがあるように、理性と常識で測れるものでもないのが恋。
まあ、だからといって絶対無敵の免罪符になるかっていうと勿論そこには異論を唱えたい所ではあるのですが。
ん、何が言いたいのかよく分からなくなってきたね。まあ恋に振り回されている内はまだまだ青くて、そうじゃなくなったら枯れてる感じで、どっちが良いのかはよく分からない。
その辺で落ち着けておこうか。

突然こんなことを書いていますが特に意味はない。ことにしておこう。
さて、明日は泉佐野巡検に行ってきますよ。アンモナイトが出ると良いな!