ため池、失業、亀裂

Yahoo!Japanのトップに出てたニュースの上から三つが次の三つだったので、そこから三題選んでみた。

・ため池遺体 少年ら7人逮捕
・復党に「失業対策」との批判も
JAL、MD90など9機に配管亀裂

三題噺。修行としてやってみるのも面白いかと思うんですが、すぐに飽きるかもしれない……;
それにしても、書いてみてショートショートって難しいと思った。全然オチが付かない。うわぁ、ぼろぼろだ。
うぅむ、頑張ろう。



 冷たい風に正面から吹き付けられて、私はコートの襟をきつく締めた。
 二月の終わりだというのに寒さは一向に和らぐ気配がない。寒い。寒い。心も寒い。誰にだって北風は平等である。失業者にも。
 大学を卒業して予定通りに就職した会社、何の苦もなく明るい未来へ向けて進む一歩だと思っていたのだ。それが、たった一年の後に首を言い渡されるとは、予想もしていなかった。
 その事を昨日電話で彼女に話したら、呼び出された。大事な話があるの、と彼女は言った。
 その時私の心をよぎったのは「踏んだり蹴ったり」という言葉である。不幸は重なる。マーフィーの法則。提唱した彼を存分に褒め称えよう。
 私の失業が私たちの仲に亀裂を入れただろうことは想像に難くない。二人の間に愛はあっただろうし、それに偽りなど全くなかっただろうけれども、最近の彼女はどこか考え詰めているような様子があった。何か情緒が不安定な様子もあった。
 みしり、みしりと二人の関係が音を立てて崩れていくのが見えるような気がした。
 そんなことを考えていたら呼び出された場所、ため池を背にした散歩道のベンチにたどり着いた。一体誰が何を考えて造った散歩道かは知らないが、私が腰掛けたベンチの後ろにはひたすら無機質な鉄の柵が走っている。ため池に人が落ちない用にだろうが、それならばこんな所に散歩道を造らなければいい。


 鉄柵に目をやっていると、不意に河童と眼があった。
 水面から半分顔を出して、こちらを馬鹿にするような目つきで見つめている。
 彼の横には吹き出しが描かれており、「キケン、近寄るな」と言っている。
 水難事故防止の看板だった。河童は人を水中に引きずり込む、危険な生き物の代表なのだし。
 私は何だか河童に「キケン人物、近寄るな」と言われているような気がしてムッとした。
「うるさいな」
「しかし、失業者で今まさに彼女から別れを告げられようとしている絶望の淵にある男が果たして安全な人物なのかな?」
 河童は馬鹿にしたような口調で言う。
「黙れよ」
「心配するなよ。絶望の淵から絶望の底へ、いつでも俺が引きずり込んでやるよ」
「余計なお世話だ」
「まあそう言うなって。その内お前の方から頼むように……、と、おっと」
 何かを見つけたのか、慌てて河童は水中に顔を沈める。と同時に、私は背後に気配を感じた。


「待った?」
 出会って間もない頃と同じように、ほんのり顔を上気させて微笑んだ彼女が立っていた。相変わらず、こちらが見ていてとろけそうな笑顔を浮かべている。そんな彼女の雰囲気に私はおやっと思った。別れ話に似合わない。
「いや、今来たところだ」
 どれほど待っていたのか、自分でもよく分からなくなっていたのでそう言った。時計を見る気にはならなかった。
「そう。よかった」彼女はそう言うと私の右隣に腰掛ける。ふわっと香水の匂いがした。
「それで……、話というのは?」
 私は出来るだけ平静を装って、何も気付いていない振りをして訊ねる。彼女は顔を伏せると、少し固い声で言った。
「実は、」
 やはり、と思った。先程までの笑顔はやはり虚飾だったのだ。私は迫り来る宣告を予期して、耳を塞ぎたくなる衝動に駆られた。けれども鉄の意思で両手を握りしめると膝の上に押しつけた。
「その……、うちに来ない?」
 言っている意味が全く分からなかった。予期していた言葉ではなかったから、というばかりではない。
「来ない? って、何度もお邪魔したことはあるじゃないか。今更、それが大事な話?」
 彼女の家は農業を営んでいて、町中から少し外れた郊外に建つ一軒家だ。私たちは付き合って何年も経つのだし、既に何度かお邪魔してご両親にも会ったことはある。
「そう言う意味じゃないの。その……、仕事が首になったって言ってたから、うちの仕事を継がないか、っていうこと」
「え?」
 言い忘れていたが彼女はその家の長女である。その家の仕事を継ぐと言うことは……、
「その……ね、子供が出来たみたいなの」
「え?」
 戸惑う私に更に彼女が言う。立て続けの驚きに私は戸惑いの言葉を発することしかできない。
「だから……っ!?」
 それ以上は言わせなかった。
 私は彼女を思いきり抱きしめた。
「こんな俺で良いのか?」
「……うん」
「農業なんて全然分からないけど」
「これから覚えればいいじゃない。私が教えてあげる」どこか得意げに彼女はそう言った。
「わかった。結婚しよう」
 私がそう言うと、彼女は涙をこぼして微笑んだ。かなり悩んだのだろう。子供のこと、将来のこと、私たちのこと。
 彼女にばかり悩ませて、私は自分が少し情けなかった。自分でも、かなり情けない状況だというのは分かっている。だから、最後の一言くらいは私の方から言わなければ、と思った。


 私と彼女の間に入った亀裂は、なんてことはない、今まさに孵化しようとしている卵に入った亀裂だったのだ。
 ぴしり、ぴしりと音を立てて崩れた壁の向こうには、こんなにも明るい未来が広がっている。
「いつか引きずり込んでやる」
 河童の看板がこちらを睨んでそんなことを言った。
「うるせーよ」
 私は小声で言い返した。
<了>