空の境界 未来福音〜the 10th summer

空の境界 未来福音
というわけで、メロブで買ってきました、空の境界の新刊(と言っていいのか)。未来福音-recalled out summer-
内容は奈須さんの短編「未来福音」と、武内さんの漫画が約3本、それぞれ「1998年8月」「1998年19月」「1998年12月」。
読み終えましたが、うん、良かった。
今年2008年は空の境界で物語の核となった1998年の物語から10年後の「未来」なんですね。未来福音を読むまでとんと気付いておりませんでした。そうか……、彼らは10年前の人たちなのか……。
物語の中には時代を超えて普遍に愛される要素があって、それ故に古典文学は今でも読む価値があるのだ。と教えてくださったのは高校の古典のI先生だったか。どうにも記憶があやふやではあるのですが、この空の境界の中には10年の時を越えて「今」と「過去」を感じて、その両方に共通する/異なる出来事を実感として感じる事が出来る気がします。10年前と言えば僕自身はまだ小学生なんでその時代の実感という者は殆どないのですが、それでも物語がリアルに当時を描写しているのは感じますし、それ故に現在との違いをリアルに感じる事が出来ているように思えるのです。この物語が世に出たのをリアルタイムで知っている人ならそれも一入だろうというのは想像に難くはないのですが……。
いずれにしても、10年を越えて愛され続けているって言うのはすごい事だと思います。奈須きのこ病がより一層進んだかな。
さて、昨今に珍しく発売日(書店流通)に買ってきて読み切りましたね。短かったというのもあるけれど。
全体的には空の境界本編で語られていなかった内容を幾らか補足する内容ってことですかね。それから後日譚も。
とりあえずですね、幻視同盟をリプレイしたくなったんですよ。うん。あとでやろうっと……、って、しまった。プラスディスクのCDが下宿だよ! 音がないよ! うわーん……。京都に帰ったらやろう。
未来福音の細かい感想は追記で……。




まずは漫画の方から。
「8月」これは痛覚残留の直後の物語ですね。式と猫と幹也の、ほのぼのとした物語。素直になれない式の可愛さが何ともニヤニヤできます。ネコなめんな!
「10月」時期的には俯瞰風景の後ですが、物語としては痛覚残留を生き延びた藤乃の話であり、俯瞰風景で幽霊その一だったとある女の子のお話。あの雑多な幽霊の中にそんな繋がりがあったなんて……、どことなく荒谷の影を疑ってしまうほどの人間関係。式との戦いの中で再び自分が生きる理由を見いだした藤乃のその後の生き方の話だったのですが……、やっぱりふじのん恐いDEATH。ただ、彼女はこれから道を踏み外す事はないんだろうな、って少し安心出来るお話でした。
「12月」矛盾螺旋の後、というよりは忘却録音の前の話と言った方がいいでしょうか。鮮花の「ちょっと表現出来ないような味のある表情」が素敵でした。そう言えば正月早々そんな事があったって言ってたなぁ、という、初詣のお話。ここから更に素直になるのに二月弱かかるのかぁ……、と式の意地っ張りな性格ににやついてしまうんですが……。コレを読んだ後に殺人考察(後)を読むと幹也の感情により一層胸が締め付けられる羽目になりそうです。さて、近々読むかな。
漫画の方はそんな感じで本編の補足的なサイドストーリーでした。個人的に武内絵が好きなのでそれだけで幸せ



で、本命の短編小説「未来福音」であります。なんかプロット段階で存在していた幻の話だとか。その辺りの詳しい話はよく知らないんですけれども。
式と幹也と、それから三人の未来視能力者の物語。
まず扉絵を見た瞬間に瀬尾? と思ったんですが、ずばり瀬尾でした。但し微妙な別人。空の境界月姫の世界が極めてよく似たパラレルワールドってことなんでしょうね、やっぱり。で、その中で晶と対応するのがこの静音なのかな。実家酒屋だし、呑めるし、未来視だし。というか密かに本編でも彼女は描写されてるんですね。幹也に死の予言をかましてしまった例の未来視の女の子らしいですね。
静音と式の会話は、静音が自分の未来視に関して持っている悩みについて。あ、なんか見覚えがある。幻視同盟でも晶が似たような事を話していた気がしますね。
その静音は自分の能力に呑まれない「ある種の幸せな未来視能力者」として描かれていくわけですが、その一方で能力に呑まれてしまった「不幸な未来視能力者」として描かれるのが、式と戦いを繰り広げた倉密メルカという男。
物語を終わってみれば、なんとも不幸な境遇だったなぁと思うわけですが、その不幸な運命も「殺された」ことで幸せな未来に繋がっていくのが良いなあと思います。奈須きのこはやっぱり裏切らないなぁ……。
特異な能力の持ち主はその能力に応じた責任やハンディが付きまとう。ならば普通の人間である方が良いのか。そこが問題。
幸福なんてこれっぽっちも落ちていない、さい先はどこまでも真っ暗で未来なんて斑の穴に飲み込まれてしまいそうな現代において、それでも生き方を決めるのはやっぱり自分自身でしかない。現在が未来を決めるのは間違いなくて、自分の道行きは自分でしか決められない。そしてそれが幸せなのか不幸なのかの判定も自分が下すしかない。
こんな時代でも、幸せは探せばある。そんな気持ちにさせられる「未来譚」も含めて、未来福音はとても好きな物語になっていたなぁと思います。
本編とは少し色が違って、今ここに、別の本としてあることがごく自然に思えるそんな未来福音。2008年の物語は今ひとつ読み解けてないんで、もう少し読み直してみる事にします。

最後に少し語られた織の話。
本編では想像に任されていた彼の遺志。
ほんの少しだけれども、彼が救われていた事に安堵しました。