激動の11月もおわり

正直疲れた。
十一月はですね……初っ端の西宮ハーフマラソン、半ばには神戸マラソン(フル)、そこから間髪入れずに外国人研究者をラボに迎え(割と世話人=私)、一週間の内にゼミ発表を二つ(水曜→火曜)、さらにその間の週末に出張が入るというスケジュールでして。
疲れた。
流石に。
色々放置気味でナントカカントカミッションクリアですわ。


はい、というわけで十二月ですね。
もう2013年が終わるというのは信じられないですねえ……。
うわぁ……。

#あいぽんと走る神戸マラソン2013

さて,もう水曜日ですが,日曜日は神戸マラソンでした.
とりあえずゴールはしました.
ただ,前回よりタイムは50分オチの5時間16分.大敗北ですね.
前回は35kmあたりから右膝がおかしくなってラスト10km弱が歩いたり走ったりだったんですが,今回は20km〜25km行った時点で右膝と股関節の様子がなにやらおかしく,まともに走れない状態になってしまいましたorz
リタイアする勇気,というのも大事なのでしょうけどやはり悔しいので歩くだけは歩いて,なんとかゴールはしました.
うーん……敗因は,やはり端的にはトレーニング不足だったのかなあと.
?今年は9月がまるまる出張で海外にいてトレーニング出来なかったので,そもそものトレーニング量が不足していた
?右膝のことを考えて河川敷ジョグしかしていなかったため,アスファルト走の訓練が足りてなかった
の両方が効いてそうです.
特に?が,自分にとっては予想外の事態で,もろダメージを受けた感じですね.
今回,実際に走るのが難しくなったのは25kmなんですが,右膝の様子は実は15kmくらいから少し違和感があったんです…….
11月頭の西宮国際ハーフの時は21kmすんなり走れた,というのを考えても,やはり路面との相性のようなものに今回は苦しめられた気がします.
(西宮国際ハーフは最初7kmだけアスファルトで残り14kmは河川敷の土コース)
昨年は賀茂川河川敷を中心に走りつつも,アスファルト舗装された道も結構走っていたんですよ.
今年はその訓練が全くなかった(実際アスファルトを走ったのは西宮の7kmくらい)ので,膝や股関節が固い地面に対応できなかったのかなとも思います.
これは大いなる反省点.
来年走るときは,もっといろんなルートで走る訓練をしなければ.


今年の神戸マラソン,昨年も出場されていた野中藍さんが,フレンドシップランナーとして公式にゲスト参加されていましたね.
開会セレモニーで高々と名前が呼ばれたときは「おーーー」ってなりました.
あいぽんの応援もなにやら組織だってなされていたようで.
私自身は走っている途中に一度あいぽんを抜かし,そして終盤歩いているところで抜き返されました.
ちゃんとトレーニングしてる人は違いますね,さすが.
去年はあいぽんより先にゴールしましたが,今年は負けた.来年はリベンジしたいと思います.
あと有名どころで走っていたと言えば元阪神濱中治さん.
こちらも走っている途中に抜かして,抜かし様に握手していただきました.
やはり野球選手ってごつい…….
なんつー腕の太さかと思いましたよ.
10kmのクオーター収容地点近くでは矢野さんも応援に駆けつけてランナーの人たちとハイタッチしてたんですけれど,この時たまたま走っているところが悪くてスルーしてしまいました.これは悔いが残ってます…….
神戸マラソン,第3回になって着々と地元色が出てきている印象.
このまま元阪神の選手が走るのが常になってくると,阪神ファンとしては益々好きな大会になりそうです.


別な話.
京都マラソンの補欠合格はなかったっぽいです.
悔しいような,ほっとするような.
さて……吉備路マラソンどうしましょうかね.

地味に神戸マラソン一週間前

レーニング足りてません、多分。
でも今日天気悪かったし……。
ということにさせておいてください。
明日から木曜日までは走るから。金曜どうするかは思案中です。



そういえばこないだの月曜日に西宮国際ハーフマラソンを走っていました。
1時間54分ちょいで、個人的には1時間55分切れたのが満足。
ラスト2kmくらいスパートかけていたので、その分で大分縮めたのかなあという感じですが。
ハーフマラソンと言いつつ20kmかなー」と謎の勘違いをして、19km地点からスパートをかけた結果、ラスト2kmペース上げっぱなしと言う無茶な状況になっておりましたが、その時は無事走り切れました。
一応21kmのハーフを5分40秒/kmで走る分にはそこそこ問題ない程度の体力は付いているようですけれども、これを2倍に単純計算出来ないのがフルマラソンですよね。
前回は30km越えた辺りで右膝が完全に逝ったので、今回はそうならないようにペースとフォームをある程度抑えて走ることをここ一ヶ月ほど練習してきました。してきたつもり。
神戸は昨年も走らせてもらうことができて、もの凄く気持ちいいコースだったので今年も楽しみにしているんです。
前回は前半飛ばしすぎ+ラスト10kmグダグダで4時間半だったので、今回はペースをコントロールして目標はやはり同じく四時間半、と考えています。
この一週間は今まで以上に体のコントロールを意識して、頑張ります。

山ナントカ太郎規制と表現規制の文脈の相違点

こないだこんなツイートをしたわけです。

他意はなくストレートに。


追加で思うところを書いておこうかなあと思ったので、書きます。
要するに、規制の是非を語る時、何を基準に規制OK/NGを決めるのかという話です。そこが恣意的な基準になれば、規制行為そのものが自ずと恣意的なものになるということです。
上記のツイートは、言うまでもなく「失礼に当たるかとも思ったが気持ちが勝ってしまった」というどこぞのニコ動歌い手みたいなことを言って今上天皇さんに手紙を手渡ししてしまった某本太郎に対して参議院議長から皇室行事参加禁止が言い渡されたという件についてなのですが。

山本太郎議員は皇室行事参加禁止へ NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131108/k10015893901000.html

まあ、これを見て「ざまぁw」と思った人は多いことでしょう。僕自身ある程度そういうことはありました。
Twitter上を見ていてもそう言う反応は普通に見られましたね。
ただ、その勢いにあやかってということでしょうか、「山本太郎は他にも色々なところでやらかしそうだからバンバン禁止していくべき」みたいなツイートがTL上に流れてきたのをみて、「ふむ……果たしてそれはいいのか?」と思いました。
これは「山本太郎山本太郎であるから禁止すべき」という、ある種ヘイトスピーチに近いレベルでの無茶な理由付けになっています。
何故禁止されるのか、という理由が「山本太郎だから」となってしまってはいけないのです。それは理由のようで理由になっていない。
撃っても良いのは撃たれる覚悟がある奴だけだ、と言う話ではありませんけれども、同じ理由、つまり「あなたがあなただからダメなのだ」ということを言われた時に素直に納得出来る人でなければ上記のような論理を肯定してはいけない気がするんですよね。
なんてことを、表現規制問題、つまり「えっちぃのはえっちぃからダメなんです」と無茶を言ってくる人たちに対してちょっと思うところがある身としては考えてしまったのですよ。
「AはAだからダメ」というロジックは、「俺が嫌いだからダメ」の言い換えに過ぎない場合が多いです。つまり、誰かの恣意に他なりません。
世の中そういう「誰かさんの恣意」に基づいた規制ばっかりではあるのですが、まーなるべく減らした方がいいですよね。それに、自分がその恣意の対象になった時、自分に都合の良い恣意は肯定して不都合な恣意は拒否する、みたいなダブスタ状態になりたくないですし。



それはそれとして、山ナントカ太郎規制に関しては一定の正義はあるかなーとか思っているよしけむなのです。
彼は自称「新党今は一人」党員でお山の大将、何はして良くて何はダメなのかを教えてくれる人もいなければ相談相手もいない状態、と推察できます。
陰謀論大好きおじさんだから、きちんとした政党所属の議員たちと馴れ合うのが嫌いなんでしょうかね。社民党あたりが接触を図っているみたいな節もありますが今のところ「一人で戦うオレカッケー」状態を貫いているみたいですし。
そして、彼の支持者層も、「巨悪渦巻く国政の『間違った常識』を、周りに流されず打ち破っていく太郎△」状態ですよね。
これは、周りに間違いを間違いと教えてくれる大人が居ないし、仮に大人に叱られても自分は間違ってないと言い張る。まるで中二病全開の子ども状態なのかなあと思うわけですよ。「間違っているのは俺じゃない! 世界の方だ!」といったところでしょうか。
いやー、「知らないから間違ってもいい」が許されるのにも限度があると思うんですよね。
「子どもは失敗しながら学んでいけばいい、小さいうち、若いうちはどんどん間違え」みたいな教育論ありますけど、アレが成立するのは周りの大人が子どもが間違った時にきちんと指導して正しい方向へ導いてやれるという前提があってのことだと思うんですよね。
そもそも子どもでさえない一人の国会議員が、周りに相談出来る人もいない状態で、好き放題ムチャクチャするというのなら、然るべき人(この場合は参議院議長という職場責任者)がちょっと厳しく出るのも仕方がないことなのかなと思います。
その点が、表現規制問題で起きていることとは違いますよね。こちらは作り手・売り手側が色々な自主規制を敷いてある程度相互監視の下でやっているわけで。
本当の意味で「好き放題」やるってのはやっぱり非現実的なのかなあと。強調と妥協、それらの線引きは、本当に難しい。そしてそれを見誤って他人に迷惑をかけるなら、勿論然るべきしっぺ返しは受けざるを得ない。
それが本当に「然るべき」ものであるのかそれとも理不尽なものかが、重要なんですねえ……。

おくとーばーらん

11月14日の神戸マラソンに向けてぼちぼちと準備を開始しています。
10月はオクトーバーラン、ということで目標を持って走る人が多いらしいですね。
ということで、私もこの10月はがっつり走ろうかと。


とりあえず、
200km
を目標に走ってみようと思います。
3日に2日で10km走ればいける計算!
まあ9月丸々海外出張だったので鈍っている分、最初はぼちぼちからスタートというところでいこうかと思っています。
最初は一回7, 8kmからいこうかと。
9月末に帰国してから7kmちょいずつ走ってましたけど、10月1日は7.5km、今日3日は調子が良かったので8.2km。
来週は研究集会がちょろっとあって真ん中抜けたりもするんですが、ぼちぼちと距離を伸ばして行って11月頭の西宮国際ハーフ、そして神戸マラソンへ。
10月は走るぞー。

かいがいしゅっちょう

出張で海外に来ています.
現在2週間経過.そろそろ日本が恋しくなってくる頃合い.
日本に根っこを残したまま海外に来るのは,大体2週間くらいが適当だと思います.
1週間だと慣れてきた頃に帰ることになるから,どうしたって物足りなさが否めない.
かといって2週間を超えてくると,今度は日本に置いてけぼりにしている様々な根っこの方が,もぞもぞしてきて,気になる/やらなきゃならないことが出来たりする.
本当は色々あれこれ忘れて一ヶ月くらいぷらーっと海外旅行できたら楽しいんでしょうけれども,なかなかそういうわけにも行きませんわな.
と言いつつ,ワタシの出張はあと2週間弱続くのですけれども.


ヨーロッパの暴飲暴食.
美味しいのですが,少々食べ過ぎて胃がしんどいですわ.
日本に帰ったら神戸マラソンに向けての体作りも本格的にしなきゃならないですし.
日常から離れていると,日常のサイクルの中でやりたいことがどんどん溜まってきますね.
いい感じにたまったエネルギーを,いい感じに帰国後解放したい所存.
つまり一言でまとめると.
艦これやりたい.


やればいいんですけどね.
MacBook AirMacの方ではFlash入れてないから出来ないけどWindows立ち上げたらできるし.
そろそろ嫁艦娘の響ちゃんといちゃいちゃしたいです.


んっ,艦これしよっ……






















[提督が鎮守府に着任しました]

今回の首相公選制論題で長期政権による様々な効果はメリットになりうるかどうか

タイトルの通りです。
以前観た試合でも散見され、また今後の試合でも見受けられるだろうメリットの一つに、「首相公選制により長期政権を実現することでかくかくしかじかとなる」というものがあるかと思います。
かくかくしかじかには例えば「長期的な対外交渉により外交が円滑になる」や「政策の持続性の見通しが立つため経済がよく回るようになる」などでしょうか。
これらの議論は色々なチームから「政権が1年伸びるとGDPが△%あがる」などの具体的な資料つきで提示されていたように思います。
さて、ここで少し考えてみたいのは、改めてタイトルの通りなのですが、今回の首相公選制論題で長期政権による様々な効果はメリットになりうるかどうか、ということです。
まずはルールとガイドラインをちらっとおさらいしましょう。

ディベート甲子園ルール
第2条 各ステージの役割
1.肯定側立論は,論題を肯定するためのプランを示し、そのプランからどのようなメリットが発生するかを論証するものとします。否定側立論は,現状維持の立場をとるものとし,主に肯定側のプランからどのようなデメリットが発生するかを論証するものとします。

ディベート甲子園ガイドライン
3.定義とプラン
肯定側のプランは論題の範囲内になければなりません。肯定側のプランは立論で示されたプランが論題の範囲を越えているか否かは、試合の議論に基づき審判が判断します。論題外と判断されたプランからメリット・デメリットが発生したとしても、そのメリット・デメリットは無効となります。

これは、いわゆる「論題の中か外か」問題ですね。
肯定側が導入するプランに自由度が高い時なんかに、稀に出てくる問題です。例えば原発廃止論題で「他の発電方式に補助金を出す」というプランを提示した時に、その補助金から「火力発電の燃料輸入企業が潤う」というようなメリットを導いたとして、これは論題を肯定するでしょうか。
つまり何が言いたいかというと、今回「長期政権による種々のプラス効果」をメリットとしてあげたところで、それは「長期政権になってさえしまえば達成されるメリット」であり、必ずしも首相公選制導入によって解決されるべき点ではないのではないか、ということです。
今年の論題の場合は
ここでいう首相公選制とは、「首相公選制を考える懇談会」報告書(平成14年8月7日)の「? 国民が首相指名選挙を直接行う案」とする
という付帯文がありまして、この付帯文によって定められる「首相公選制」のプランの中では首相の任期は4年で固定、更に不信任に関しては現在の「出席衆議院議員過半数」よりも達成が難しい「衆議院議員の2/3の賛成」で可決されるという条件があり、また首相は不信任決議に寄らない解散権の行使を出来ないことになっています。
つまり、この付帯文に乗っかって議論をするならば、首相の任期は概ね4年で固定されて、現在のほぼ1年ごとに首相が交代しているような事態よりは長期政権化するということはほぼ認められそうです。
なんだそれなら長期政権によるメリットは議論として成立していいじゃないか、と思うかも知れません。
果たしてそうなのでしょうか?
一度考えてみて欲しいのは、もし仮にこの付帯文によるプランが「任期は2年とする」あるいは「任期は1年とする」というようなものであった時、そして近年の日本の政治における首相交代の平均周期が2年や3年であった時に、同じ論法で「長期政権によるメリット」で「首相公選制という制度」を肯定できるか、ということです。
今回は偶々、プランで定まる首相の任期が近年の首相交代期間の四倍程度あるため、長期政権化によるメリットは具体的にある程度の大きさを持ったものとして立証しやすいメリットとなっています。
しかし、このバランスがもし違うものであったとして、メリットの大きさが極端に削れるものであった場合、それは論題を肯定するメリットとして充分な立ち位置を持っているものと言えるのでしょうか?
私は、言えないだろうと思います。
つまり、今回の場合は、付帯文によって定められている「任期4年」他の政権の長期化が見込めるプランは、そこでの議論に時間を割いて論題の本質から外れないように外堀を埋めておくだけのものであって、本質的には論題外のプランであり首相公選制を直接肯定するプランではない、と私は考えます。
付帯文のくせにそもそも論題の外なのか、というのも若干違和感のある話ではありますが、政策論題で今回のように複雑な事項が絡んでくるものだとどうしてもある程度こういうケースが出てくるのは仕方がないのかなと思います。
因みに、藤堂論題検討委員による今大会の論題解説(教室ディベート連盟ウェブサイト)でも、考えられるメリット案としては「首相の民主的正当性の強化」と「首相及び内閣の指導力の強化」が挙げられておりまして、政権の期間については触れられていません。
これについては勿論、簡潔に論点をまとめる上で、メリットの例を2つ挙げる中からこぼれただけ、という可能性もありますが、首相公選制を肯定するメリットの代表を2つほど挙げるなら、その中に「長期政権化」というものは入ってこないということのようにも思えます。

じゃあ本当に長期政権化はメリットたり得ないのかという話

上述の通り、4年固定任期のプランから短絡的に長期政権化を導いてメリットとするのは、私は論題外だと考えます。
じゃあ本当に長期政権によるメリットは首相公選制を肯定しないかというと、必ずしもそうではない、つまり長期政権によるメリットで首相公選制を肯定することは可能ではある、とも考えています。
ポイントはやはり、日本の現状を分析するとここ数年首相がほぼ1年交替となっている点、更に政権自体も2006年の小泉政権の任期満了を最後に、安倍(第一次)→福田→麻生内閣と続いた自公政権と鳩山→菅→野田と続いた民主政権は共に4年の任期を満了せずに解散総選挙を行っています。
首相の交代にせよ、解散総選挙による政権交代にせよ、背景にはそれまでの政治体制では国民の支持が得られないという「支持率の低下」があるかと思われます(勿論他にも様々な要因はあるのですが)。
この「支持率がころころ下がる」し、その対策が「首相(首)のすげ替え」であるというような現状となっている原因の一つにはやはり現在の議院内閣制があるのではないでしょうか。
そこで、首相公選制の導入ですよ。
もし首相公選制を導入したとしましょう。そうすると、恐らく「固定任期4年」というところに寄らずとも首相の任期が長くなるということは導けるのではないでしょうか?
国民から直接選挙で選ばれた公選首相は、やはり強く具体的な民意の反映先であることは間違いありません。そうすると、国会(立法権)の側も公選首相の出す政策を安易にないがしろにすることは難しくなり、国会側から簡単に首相の首をすげ替える(この場合は不信任を出す)ということは難しくなるでしょう。
また、国民も自分たちが直接選んだ首相ということで期待をかけるのなら、早々簡単に支持率が下がっていって首相の民主的正当性が薄れるということもないと期待出来ます(そうは言っても鳩山政権の支持率低下を見ると……どうなるか疑問は残りますが)。
以上を言い換えれば、民主的正当性の強化された首相の任期は、現在の制度の下での首相の任期よりも長くなることが期待される、という事になります。
この論法から長期政権によるメリットを提示してくるのであれば、なるほど長期政権によるメリットというのは首相公選制を直接肯定するメリットになるでしょう。
というのが私の考えなのですが、どうでしょうか?

じゃあ実際の試合でどうするか

実際の試合で肯定側がプランから長期政権によるメリットを押し出してきた場合、その議論に否定側が素直に乗っかっちゃった場合、審判はその議論を採らざるを得ないだろうなあというのが正直なところです。
議論に乗っかる時点で否定側はその話を「公選制を肯定するメリット」と認識して反論していることになります。さらにその争点で両チーム反駁をぶつけ合うことでしょう。
そうなると、ですよ。教室ディベートの審判としては、やはり議論が上達するよう指導するという観点も踏まえたい、という背景もありますので、伸びてしまった議論に基づいて判断し、両チームの反駁のよかった点悪かった点を見てあげる必要がある、のではないでしょうか?
最初に述べた通り、論題の中か外かというのは難しい問題なんです。それに今回の問題は予め規定されている付帯文によって発生している問題。ともなれば、論題設定にも若干問題点があるということで、その辺は審判・連盟側の責任があるところでもある。その点を踏まえると、少々レールがずれているからと言って、審判が個人の判断だけで論題内外を検討して長期政権によるメリットを認めないというのは、ちょっと横暴なのかなと思います。


更に、否定側が論題外である点をアタックしてきた場合。
その時こそ問題なんですけれども、肯定側は私が挙げたような論法を用いれば長期政権によるメリットを論題内に回復させることが出来るのはお分かり頂けるかと思います。
肯定側が慌てずにきちんと対処しさえすれば、審判は議論を採用するでしょう。しかし、もし対応を誤って否定側の言い分を認めてしまうと、長期政権によるメリットは採用出来ない、ということにもなってしまうかもしれませんね。
因みに否定側が第一反駁で長期政権によるメリットに対して「論題外である」というアタックだけしかせず、肯定側が第一反駁で上手く回復してしまうと、否定側は第二反駁で別の観点からこのメリットに反駁することが出来なくなるので、上記のような回復法がある論点に対して「論題外である」とだけアタックして普通の反駁を一切しないのは危険なので辞めた方がいいですね。


そんなとこです。
明日はディベート甲子園中四国大会ですね。
中四国OBとして選手の皆さんの奮闘を期待します。